day 12(2) イルケシュタム峠からオシュへ
国境のキルギス側。ここでキルギス側から来る車に乗り換え、キルギスのイミグレに向かいます。車は無料。最初の100元に含まれているのでしょう。
10分ほどでイミグレに到着。
特に厳しいチェックもなく通過。北京時間14時過ぎ、キルギス時間はそれより2時間の時差で、12時過ぎということになります。キルギスは日本人はノービザで入国できるので、パスポートを出すのみ。
イミグレから先に行って左側のところにタクシードライバーが待っています。オシュまで200元。これまでの相場からすると高いような気がするのですが、まかりません。
キルギス時間12時30分、計4名の乗合タクシーでオシュへ出発。
美しい高原の景色が続きます。
ところどころに放牧の牛や馬がいて、時折彼らの通過を待ちます。道は中国側ほどではないものの、舗装され整備されており、以前の旅行記にあったような悪路ではなくなっていました。
今回のタクシーに同乗の3人は、2人が中国人の夫婦で、イルケシュタムの先のサリタシュの近くで建設工事をしているとのこと。オシュに住んでいて、そこに奥さんを連れて行くところだそうです。夫婦の住まいが用意されているぐらいですから、それなりの立場の方なのでしょう。もう一人はオシュに貿易の仕事で行くところだそうです。
途中立ち寄ったその建設現場からサリタシュの村を望みます。彼らの話によると、中国の援助によってイルケシュタム峠からオシュまでの道を改修している、そして、その仕事を請け負っている会社に勤めているのだとのこと。この辺りには一帯一路政策の影響なのか、かなり中国資本が投下されている印象です。
途中、現場に寄らせて欲しいということで立ち寄ります。
中央に小さく見えるのがサリタシュの村。立ち寄ったお礼ということなのかおすそ分けでパンをいただきます。
この辺りは標高3300mぐらい。美しい山が続きます。
山、そして高原。高原では所々で放牧が行われています。
途中で馬酒のスタンドで酒を買い、回し飲みしながらオシュへ向かいます。ちょっと飲んだけど微妙な・・・癖のある薄いヨーグルトみたいな。でもおごってもらったので文句は言いません。
九十九折の道を進み、
徐々に山が低くなり・・・
かわいいユルタなども見ながら・・・
キルギス時間16時すぎ、結果的に10時間と、圧倒的な速さでイルケシュタム峠を走破し、ついにオシュの街に到着しました!
ヒッチハイクなどで格安に移動した人もいるようですが、時間を優先したこともあり、結果的にカシュガル=オシュ間の国際バス(520元)と同じぐらいの運賃はかかってしまいましたが、22時間ぐらいかかるという国際バスよりはるかに早く到着することができました。
早速、日が暮れるまでにオシュの街の散策に出かけます。
中心街は工事中。この辺りには両替屋がたくさん集まっています。ネパールっぽいような雰囲気?
オシュには世界遺産があります。スレイマン=トゥー。信仰の対象となっている山です。史跡公園になっています。日のあるうちにここまでこれて感激。
はためくキルギス国旗。
街が一望。
山頂にはモスクがあり、何人もの人が祈りを捧げていました。今なお地元の人々の信仰を集めているようです。
下山してさらにまち歩き。市場もなかなか盛況です。
オープンテラスのある店でラグマンをいただきます。
今晩の宿はこちら。高原のホテルといった風情。清潔でwifiもあり、レストランもあり、なかなか快適なホテルです。
英気を養い、明日は再び国境を越え、ウズベキスタンの首都、タシケントを目指します。
【この日の移動距離】490km 【累計】6900km
day 12(1) さよなら中国。イルケシュタム峠へ
久しぶりのカシュガル。事情あって(大したことない事情と大したことある事情があり)しばらくお休みしていましたが、いよいよ難所、イルケシュタム峠を越えてキルギスのオシュに向かいます。
イルケシュタム峠越えには2つの方法があって、乗合タクシーなどを乗り継いでいく方法と、国際バスがありますが、曜日の都合とできる限り早く、日のあるうちにオシュまでたどり着きたいと思ったので、よりスピーディーな乗り継ぎコースで進みたいと思います。
起点は、早朝のバスターミナル。ここからまず最初のイミグレがあるウルグチャットまで行く乗合タクシーがあるはずです。
窓口で切符を買うようにということなので、窓口に行き「ウチャ(烏恰)」と行き先を告げると、端末をパタパタと叩いて、「没有(メイヨウ)」と一言。なに!?早速大ピンチです。話を聞くと、今日ウルグチャットに行く車は一台もないとのこと。カシュガルくんだりまで来て、峠越えできませんでしたというわけにはいかない!
そこで、発想を変えて、バスターミナル前にたむろするタクシーと交渉。要は4人分出せば行ってくれるはず。こうなったら致し方ありません。何とか交渉成立。贅沢にも1台タクシーチャーターでウルグチャットに向かいます。北京時間9時、新疆時間7時に出発。
さらばカシュガル。
すぐ山がちに。
道はかなり整備されており、快調に飛ばしていきます。
間も無くウルグチャットの看板が。
およそ1時間強。午前10時20分頃、ウルグチャットのイミグレに到着です。ここで中国の出国手続きをします。とはいえ、ここは本当の国境よりも140kmも離れています。
出国審査を受け、いよいよ国境越えですが、ここは専門の乗合タクシー(今回は下の写真の黒い車)に乗る以外に方法がありません。値段は一人100元で固定。イミグレの職員が案内してくれます。値下げは一切効かない代わりに、これ以上も請求されません。日本円にして2000円弱、まあ仕方ないかと。
なんやかやと1時間ぐらいかかり、11時30分頃、国境に向け出発。この時期はあまり国境を越える人間はいないようで、人が集まるのかやきもきしました。
この先の道もかなり整備されています。
11時40分、途中の康蘇の料金所を通過。
イルケシュタムまでまだあと100km
ひたすら進みます。広い空、険しい山。
途中の町。
ついに国境近くなるとロシア語が。英語も。ただ、単語の間にスペースを空けることをしないので最初何が何やらわかりません。
北京時間13時ちょい前、ようやく本当の国境に到着しました。ここではパスポートチェックはあるものの、出国手続きは前のイミグレで済んでいるので、特に何もありません。
ついでに、周りにも何もありません。かなり厳しい環境を耐えていると思しき建物が数軒。パスポートを集められたまま、しばらく待ちます。この国境には昼休みがあると聞いていたので、昼休みに入られてしまったかと危惧。ドライバーに聞いてみても、「まあ、待て。」と。
幸いなことに、30分ぐらいして進んでよし、ということになり、迷彩服姿に小銃装備の国境警備隊員を乗せて、再び先に進みます。反対側にはトラックの長蛇の列。なかなか物流の要になっているようです。でもトラックは全く進んでいませんが。
20分ぐらい走って、13時50分頃、停車。
ここがどうやらキルギスとの国境のようです。この白っぽいコンクリートの向こう側がキルギスとのこと。中国側の車はここまで。中国の国境警備隊と、キルギス側の迎えの車を待ちます。キルギスに入ってみたり戻ったりを繰り返してる同乗の人。
しばらくして、キルギス側の車が来ました。あの斜面の中腹にある碑がどうやら国境を示すもののようです。
さて、ここからキルギスに入ります。
day 11 今日も飛ばない
翌朝。カシュガルの朝です。霞む空、今日も視界が悪いのが気にかかりつつ、空港に向かいます。
相変わらず霧のような。この地域では時折砂嵐が発生し、視界が悪くなる時があります。思えば、列車も砂嵐でだいぶ遅れていたのでした。
空港には来たものの、一向に飛行機がやってくる気配はありません。着陸できさえすれば離陸はそんなに問題ないはずなのですが…。視界の悪い中着陸させるには、計器飛行ができる機器を備えなくてはなりません。ターミナルビルは立派ですが、どうやらそうした設備はこの空港にはないようで・・・
結局、この日も夕方になりやはり飛行機は来ないということになり、ホテルへ。
せっかくなので、街に出て散策です。
夜もなんとも言えない風情があります。モロッコや以前旅したシリアやヨルダンのような雰囲気。日本からウラジオストク、中国を横断してここまで、地域ごとにいろいろな街の表情がありますが、もうここは中東の文化圏なのだなと改めて実感しました。
屋台でご飯を食べ、
ホテルに戻ると、何やら慌ただしい動きが。聞いてみると、どうやら飛行機が飛ぶかもしれないとのこと。慌ててバスに乗り空港に向かいます。街中でのんびりしすぎていなくてよかった!
深夜0時ごろ、ついに飛行機が到着!!2日にわたって足止めされていた乗客からは、飛行機が着陸した時拍手がわいたほど。
夜通しフライトし、真夜中のウルムチを経由して、翌朝上海虹橋空港にたどり着きました。
次回の旅はまたカシュガルから続きを旅します。
day 10(2) カシュガルの街
カシュガル駅から街を目指します。今回の休みも短いので、今夜のフライトでウルムチに戻ります。なのに列車の遅れもあり…急がなければ。
駅から街中まではバスがあるということでしたが、どうにもバス停が見当たらなかったので、乗合タクシーに。4人揃うまでそんなに時間はかかりませんでした。
少し走ると、旧市街が見えてきます。大きな観覧車のあるあたりで降りて歩いて街中に向かいます。
共産党中央へウイグルへの援助を感謝するという看板。こういう看板が設置してあるあたり、ウイグルという土地の微妙な状況を感じざるを得ません。街中のこんなところにこの看板があるということは、感謝を表すためというより、党は援助をしているのだ、感謝しなければというメッセージを市民に向けて発信しているということでしょうから。
しばらく歩くと、旧市街に入ります。
もう同じ中国の街とは思えません。ハミよりもさらに西域色が。
羊を連れた少年。
この辺りは職人街のようです。
およそ中国らしからぬ「カシュガル」という街に抱いていたイメージ通りの街並みにテンションが上がります。
エイティガール寺院。
街の広場も、歩く人々は完全にウイグル人ばかり。同じウイグル自治区でも、ハミはかなり漢民族の割合が高かったのですが、ここは漢民族の方が少数派のようです。
ところで、ウイグル族の男性は皆帽子をかぶっています。
街中には帽子屋街みたいな一角があり、所狭しと帽子が並んでいます。
お土産に一つ帽子を買った店の店主。カメラを向けるとなかなか渋くポーズを決めてくれました。
こちらの一角は再開発をしているよう。カシュガルの旧市街では、古い家を新しい建物に建て替えているようです。
雰囲気はあるものの、先ほどの街とは打って変わって整然とした再開発完了したエリア。便利で綺麗そうですが、ちょっとつまらないような・・・
旧市街を抜けると市場がありました。
市場の中は、かつて旅した中東そのもの。懐かしい感じ。
さて、一通り街中を散策したので、ウルムチへの飛行機に間に合うよう、カシュガル空港へ向かいます…が、
なんと!視界が悪く着陸できないので、この日全てのフライトが見合わせ!ショック!!明日中には東京に戻らないと仕事の打ち合わせがあるのに・・・。果たして自分の乗る予定のフライトは飛ぶのでしょうか?これはやばい。
結局、夜になって今日は全て欠航するということになり、ホテルを用意するので全員バスに乗って移動するということに。東京から遠く離れたカシュガルという地で途方に暮れている自分はなんだか面白くもありました。
思いがけないカシュガル宿泊です。
【昨日から今日の移動距離】トルファンからカシュガル、1450km
【累計】6410km、ちなみに経度にして64度ほど。地球1/6周です。
day 9 トルファンで乗り換え、そして南疆線へ
トルファンには朝の5時半に着くはずだったのですが、砂交じりの強風が吹きつけていたせいで途中止まったり進んだりを繰り返し、4時間遅れで午前9時半過ぎに到着。
トルファンで乗り換える予定の、カシュガルへ向かう乗り継ぎの列車に間に合うか心配でならなかったのですが、
砂嵐のせいで列車は軒並み遅れており、あまり心配する必要もありませんでした。
なので、駅を出て昼食を。
トルファン駅はトルファンの街からは結構離れており、街並みは鉄道に関連する施設ばかり。あまり旅情は求むべくもないかという感じ。
例の牛肉麺屋があったので、食べてしまいます。
ちょっとスパイシーな感じ。
少し物足りなかったので、もう一食はしご。店先でグツグツやっているこの鍋が気になったので入ってみました。極太の春雨みたいのに、肉と野菜が入ってなかなか美味しい。店のお姉さんに写真を撮らせてというと、働いている感じのポーズを取ってくれました…
さて、乗り換え予定であった列車がかなり遅れているので、予約を変更して少しでも早めの列車に。
それでも、かなり待ち、定刻より4時間遅れの14時半にようやく列車が到着しました。
普快の5826次。天山山脈の南麓、タクラマカン砂漠の北縁を通ってかつてのシルクロードの天山南路に沿って走る南疆線を西に向かい、33時間かけて終点の和田(ホータン)まで走る列車です。
今回は、この列車に乗り、新疆ウイグル自治区の西の要、カシュガルに向かいます。
トルファンまで乗ってきた蘭新線の沿線とは違い、山がちな岩石砂漠を進みます。
まだ11月の初めながら、外はダウンが必要な寒さ。徐々に標高が上がるにつれ、雪化粧した山々が・・・
やがて、日が暮れていきます。北京時間で19時過ぎ・・・
列車は引き続き天山南路をひたすらに西へ進んでいきます。
【この日の移動距離】昨日の嘉峪関からトルファンまで980km、トルファンから先は明日まとめて。
【累計】トルファンまでで(嘉峪関〜ハミは含まず)4960km
day 8 再び嘉峪関からスタート
さて、次の休み。再び旅を始めたいと思います。今回のスタート地点は、嘉峪関。前回の終点、ハミから少し戻ったところです。ここは万里の長城の西の果て。かつては、いわばここまでが中国、この先は生きては帰れないかもしれない土地でした。
嘉峪関までは上海経由。空港からまずは、以前、列車で通過した嘉峪関駅に立ち寄ります。
立ち寄った理由は切符を手にいれること。ネットで予約しておいた切符を引き換えます。列車の発車は夜の7時。しばらく時間があるので、「嘉峪関」に立ち寄ってきたいと思います。
駅から路線バスで向かいます。あちこち経由していくバスに乗ってしまいましたが、
だいぶ郊外にやってきて・・・、およそ1時間弱で到着。
ここがあの万里の長城の端だと思うと、なかなか感慨深いものがあります。はためく旗。
会極とは、西部から来た大名や役人、商人、旅行者などがここで出会い、ここを経由して中国の王の皇居まで行く(朝貢)、という意味合いだそうです。
この先は砂漠が広がります。
展示されていた「嘉峪関守衛図」
さて、では自分も中国から西域へ旅立つとしましょうか。
再び、嘉峪関駅に戻り列車を待ちます。予感はしていたものの、見事に遅れ発生とのこと。到着は数時間遅れるようですが、いつになるかわかりません。
日もとっぷりと暮れ、夜中の10時頃になってようやく嘉峪関を出発しました。再び寝台列車の乗客となり、前回訪れたハミを通って、トルファンに向かいます。
真夜中にハミを通過。今回はハミ南駅です。
窓に絶え間無く吹き付ける、砂交じりの風がやや不安を煽ります。
【今日の移動距離】寝台列車なので、明日まとめて。