Chopped Around the World 〜こまぎれ世界一周

世界一周はしたいけど、仕事は辞められない。 わずかな休みをこまぎれにつなぎながら、少しずつ世界一周を目指します。

day 15 ヒヴァへ

f:id:pristine:20160816230839j:plain乗車中の列車はタシケントから世界遺産の街ヒヴァの最寄駅、ウルゲンチを経由してそのちょっと先シャヴァトまで行く「アムダリア」号。アラル海に注ぐ大河の名前を冠した長距離列車です。

f:id:pristine:20160816230800j:plain1等寝台に乗っている客はほとんどいなく、今回はこの個室を1人で気楽に使用。お茶のサービスもありました。

f:id:pristine:20160816230732j:plain列車はキジルクム砂漠を黙々と走り抜けます。

f:id:pristine:20160816230828j:plainサマルカンドを夜中の23時に出発した列車は、定刻通り翌日ひる12時にウルゲンチに到着。意外なことながら(と言ったら失礼かもしれませんが)ウズベキスタンの鉄道は結構定刻通りに走ります。中国の鉄道が遅れが常態化しているのに比べ、かなりの正確さです。

f:id:pristine:20160816231622j:plainウルゲンチからヒヴァまではトロリーバスがあります。しかし長旅&さっさとヒヴァに向かいたかったので、ここはタクシーを利用。駅を出ればたくさんのタクシーの客引きがいるので、交渉の上で乗り込みます。

f:id:pristine:20160816230848j:plainウルゲンチの街を出てしばらく走ると…大きな旧市街(イチャン・カラ)が見えてきます。

f:id:pristine:20160816230900j:plainこの城壁の中が世界遺産のヒヴァの旧市街です。

早速、宿に荷物を置き旧市街の散策に。

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f:id:pristine:20160816230953j:plain入り口にある旧市街の全貌。街のすごいところは、まるでおとぎの国の街のようなこの街に本当に今でも人が住んでおり、人々の営みがあるというところ。

f:id:pristine:20160816230907j:plain今のヒヴァの街は、建造と破壊を経て、18世紀から19世紀ごろにかけて造られた建造物が多くを占めるとのこと。漫画の「乙嫁語り」に描かれた世界は19世紀ということなのでまさにその頃の風景そのままということなのでしょう。

f:id:pristine:20160816230911j:plain中心部は舗装が直されていたりと整備が進んでいます。

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ヒヴァの最も高いミナレットイスラーム・ホジャ・メドレセ」のミナレットから街を見渡します。

f:id:pristine:20160816230932j:plain向こうに見えるのがヒヴァのランドマークの一つ、未完成のミナレット「カルタ・ミナレット」。完成すれば100mもの高さのミナレットが建ったと言われています。

f:id:pristine:20160816230920j:plainアラクリ・ハン・メドレセ。

f:id:pristine:20160816231631j:plainジュマ・モスク。静謐な空間が広がっています。

f:id:pristine:20160816230957j:plain散歩を続けていると・・・

f:id:pristine:20160820091654j:plain日も暮れてきて・・・

f:id:pristine:20160816231133j:plain旧市街で夕食となりました。

f:id:pristine:20160816231136j:plain夜となり・・・

明日は、消滅しつつあるアラル海の、かつての港町、ムイナクに向かいます。

【昨夜からここまでの移動距離】770km 【累計】8450km

day 14(2) 青の都、サマルカンドで日本語を聞く

f:id:pristine:20160625222625j:plainサマルカンド駅で声をかけてきたのは地元のサマルカンド国立外国語大学で日本語を専攻している学生でした。まさかウズベキスタンで日本語をしゃべる人間に会うとは思っていませんでした。
アルバイトと会話の実践を兼ねて日本語ガイドをやっている、もしよかったらどうか、今日、最後に満足してくれればガイド料をくれればいい、という話で、普通は警戒するのですが、なぜか大丈夫そうな気がしてお願いしてみました。

f:id:pristine:20160625222632j:plain学生らしく、駅前からバスに乗り、その後は歩いていきます。

まずは、アミール・ティムール廟(グリ・アミール)。グリ・アミールとはタジク語で「支配者の墓」という意味だそうで、ティムールとその子孫たちが眠る廟。

f:id:pristine:20160625222642j:plain青の都、にふさわしい美しい外観だけではなく、

f:id:pristine:20160625222647j:plain内部も金色が織り混ざった美しい青。

f:id:pristine:20160625222651j:plain再び歩いて向かったのは・・・(後ろ姿は例のアルバイトガイドのブニヨドくん)

そう、サマルカンドのハイライト!レギスタン広場!!f:id:pristine:20160625222655j:plain青の都、イルラーム世界の宝石、東方の真珠、など数多の名前を持つサマルカンドを代表する、象徴する広場です。600年以上前、13世紀に作られたという3つのメドレセ(イスラームの学校)は、今なお人々の心をつかんで離しません。

f:id:pristine:20160625222658j:plainちょうど4月。桜とメドレセ。

ここでは、少々のお金を警備員に渡すと塔に登らせてくれます。f:id:pristine:20160625222701j:plain暗い階段をひたすら登り、小さい隙間から上がると・・・f:id:pristine:20160625222705j:plainレギスタン広場だけでなく、サマルカンドの街を見渡す見晴らしが。かつて、この塔から礼拝の時間を知らせるアザーンを唱えていたのかと思うと、何か感慨深いものがあります。f:id:pristine:20160625222708j:plain

続いて、レギスタン広場から「タシケント通り」を歩いて街の北のほうに向かいます。「タシケント通り」はきれいな店の立ち並ぶサマルカンドのメインストリート。多くの人が遊んだり待ち合わせたり散歩したりと思い思いに過ごしています。f:id:pristine:20160625222711j:plain

タシケント通りの先にはバザールが。f:id:pristine:20160625222714j:plain

バザールを抜けていくと、シャーヒズィンダ廟群という、ティムールゆかりの人々のお墓が立ち並ぶ「死者の通り」とも呼ばれる聖地があります。f:id:pristine:20160625222718j:plainしかし、どれも美しい青。この深い青色。この色を見るためにサマルカンドに来たと言っても過言ではありません。昔々、中学生ぐらいの頃に社会科地図帳で見た青の都、その頃からいつかこの目で見てみたいと思っていました。f:id:pristine:20160625222723j:plainついにその思いが実現したことは本当に嬉しいとしか言いようがありません。

続いて、ブニヨドくんの友達のタクシーに乗り(こういうところから少しづつ分け前ももらっているのだと思うのだが)、ウルグベク天文台跡へ。f:id:pristine:20160625222729j:plainウルグベク天文台では、何故か日本人と写真を撮りたいということで、地元の中高生ぐらいの学生たちが一緒に写真を撮らせてくれと言ってきます。どうやら、サマルカンドウズベキスタンでの人気の修学旅行先でもあるようで、全国から人々が集まってくるのだとか。そしてアジア人が珍しいので、一緒に写真を撮りがるのだそう。まあ、パンダと一緒に写真撮るようなものですな。ここだけではなく、この前後、かなりの回数一緒に写真撮ってくれと言われました。彼らのデジカメや携帯電話の中にはアジア人の代表としての僕の写真が入っていることになりました。

天文台の博物館に展示されていたシルクロードの地図。f:id:pristine:20160625222726j:plain

次に向かったのはアフラシャブの丘。朝乗った列車の名前の由来のようです。13世紀の早い頃、モンゴル軍に破壊された最初のサマルカンドの街のあったところだそうです。f:id:pristine:20160625222733j:plainしかし

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今、いるのは羊と牛だけ・・・

f:id:pristine:20160625222739j:plain再び歩いて、バスに乗り、住宅街の中にある紙すき工房へ。8〜9世紀の頃、サマルカンドは中近東一の紙の生産地だったそうで、ここでは当時の製法を再現して、「サマルカンド・ペーパー」のいろいろなペーパーアイテムを作っているとのこと。f:id:pristine:20160625222743j:plainお茶をいただきながら見学。紙すきがどうというより、この場所自体がなんとも居心地の良い場所…

しばらく居させてもらって、バスで市街に帰ろうとしますが、なかなか来ないので、少し歩きながらバスを待つことになりました。f:id:pristine:20160625222749j:plainサマルカンドの住宅街。

f:id:pristine:20160625222752j:plainなかなかワイルドな肉屋。

f:id:pristine:20160625222756j:plainようやく来たバスに乗り、そろそろ夕食どきなのでレストランに向かいます。

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ガイド代兼ねて、一緒にどうかとブニヨドくんを誘いました。彼の夢としては、日本語を生かして、卒業後はタシケントに出て外務省などに勤めて、行く行くは日本のウズベキスタン大使館か、タシケント日本大使館で仕事をしたいとのこと。そのために、近いうちに日本への留学も考えているということでした。

彼のガイドはなかなか的確だったので、食事と共に大した額ではありませんが、ガイド料を渡しました。「留学に向けた資金にしたい」と言っていました。

そして夜も更け…。夜のサマルカンド駅から夜行列車に乗り、次の目的地ヒヴァの最寄り、ウルゲンチへ向かいます。f:id:pristine:20160625222808j:plain実は、この夜行列車、日本からインターネットでロシア国鉄のサイトを通じて予約していたのですが、ロシア国鉄の予約書では、ウズベキスタン国鉄の駅では切符を発券できないとのこと。どうやら、ロシアと旧CIS諸国の予約発券システムは共通で、相互に発券できるので、ロシア国鉄のインターネット予約は旧CIS諸国内の列車も予約&購入できてしまう。だけど、これを有効な切符に引き換えることができるのはロシア国鉄の駅だけだということでした。注意が必要です。

ロシア国鉄の予約書▼f:id:pristine:20160625222804j:plainそして切符がないとホームにも行けない、それどころか検問を通れず駅の中にも入れないということで、仕方がないので、改めて最も安い開放寝台の切符を買い、改札を抜けた後で、車掌に交渉して予約の1等寝台に変えてもらおうと画策。なんとか成功したのでした。開放寝台のチケット分は損しましたが、せっかくの1等寝台が無駄にならず何より(とはいえ、1973ルーブル=約4000円ですが)。

列車に揺られ、ヒヴァを目指します。

day 14(1) ウズベキスタンの新幹線、アフロシャブ号でサマルカンドへ

f:id:pristine:20160625092629j:plainタシケントの朝。再び旅を始めます。ウズベキスタンの首都、タシケントから西へ進む旅です。(この旅、実は先ほどのイルケシュタム峠越えより前に行っています。イルケシュタム峠を越えようと思い休暇を取ったらたまたま中国の休日にあたってしまい、国境も休みということが判明し、急遽タシケントから先を進んだのでした。ですので、書かれているのは2013年時点の話です。)

f:id:pristine:20160625092646j:plainインフレの激しいウズベキスタン、空港からホテルまでの間のタクシーの運転手に両替してもらったら札束が。これで20USドルぐらい。カバンの中が札束でいっぱいになってしまいます。買い物の時はみんな札束を持ち歩いていて、買う方も売る方も銀行員ばりに数えるのが早い・・・

ウズベキスタンには公定レートと闇レートがあって、1.5倍から2倍位の差があります。この時は、闇レートで大体この500スム札1枚が10円くらい。何を買うにも、全部10円「札」で払うような感じです。

地下鉄に乗ってタシケント駅へ。地下鉄は撮影禁止な上に警察官が大量にいて微妙な緊張感がありました。

f:id:pristine:20160625092652j:plain朝7時半、切符を買ってホームへ向かいます。f:id:pristine:20160625122738j:plainタシケントからサマルカンドまで。04号車の11席。50018スム=約1000円。

f:id:pristine:20160625092658j:plainアフロシャブ号。スペイン製の高速列車です。高速で走れる区間は限られているようですが、サマルカンドまでの約340kmを2時間ちょっとで結びます。

f:id:pristine:20160625092721j:plain車内もきれい。

f:id:pristine:20160625092725j:plain軽食がつきます。サンドイッチとクッキー。

定刻通り、朝8時に出発。この列車、1日2往復あり、タシケント発が朝7時と8時、サマルカンド発が17時と18時です。この日はたまたま空席があったのですが、聞くところによるとかなり混雑していて、事前に予約した方が確実ということでした。

f:id:pristine:20160625092729j:plainタシケントを出発した列車は南に向かい、その後タジキスタンとの国境に近いところを西に向きを変え走っていきます。かつて、タシケントからサマルカンドへの線路はまっすぐ南西に進んでいたのですが、一部にカザフスタン領内を走る区間があるので、ウズベキスタン領内だけを走る線路を改めて作ったということです。

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定刻通り10時過ぎにサマルカンドに到着。快晴。オアシス都市らしく緑に噴水まで。f:id:pristine:20160625092742j:plain街中へ出ようと歩いていたら、なんと日本語で話しかける人が・・・!
一体どういうことなのか!?

【ここまでの移動距離】340km 【累計】7680km

day 13 オシュからタシケント

f:id:pristine:20160622224135j:plainオシュの朝。トロリーバスの走る街を出て、早速、ウズベキスタン国境を目指します。

国境までは車で15分ぐらい。宿のフロントの兄さんが送って行ってくれるとのこと。ちょっと行くと道を牛とかが横切っていたりします。f:id:pristine:20160622224140j:plain

15分で国境に到着。キルギス時間10時。出国はスムーズでした。どこに行くのか聞かれ、どこから来たのかを聞かれ、しばらくパスポートをじーっと見られてスタンプを押されました。

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キルギス側イミグレ。かつてソ連時代はここに国境はなかったはずなのですが、現在はこの国境、車で通過することもできず、歩いて渡らなければなりません。

ごくわずかな距離の緩衝地帯を歩くと、ウズベキスタン側ボーダーに到着。f:id:pristine:20160622224148j:plainこちらは打って変わってなかなか大変な国境。まず、税関申告書を書かなくてはなりません。これがロシア語の書式しかなく、地球の歩き方に載っている英語書式のものと照らし合わせながら書き、なかなか進まない列に並んでチェックを受けます。ところが書き方が多少違うらしく、直し直され。

その後、今度は税関。荷物を改められ、そしてなんと、携帯電話に入っている写真を全てチェックされます。激しく時間がかかるのですが、イスラム過激派関連の映像や画像、ポルノの持ち込みをかなり警戒しているようでした。

さらに、人によっては小部屋に連れて行かれ、服を脱いで検査。自分も「ちょっとこっち来い」と呼ばれかけましたが、呼んだ係官に向かって、別のちょっと強そうで肩に星が少し多めについている女性の係官が「日本人はOK!いいよ、いいんだよ!」的な感じで叫んで、行っていいということになりました。なかなか疲れる国境でした・・・。
(思えば、タシケントの空港で別室に連れて行かれた時のことを考えると、別室に行けば何がしか難癖つけられて賄賂を要求されていたかも・・・)

13時頃、ようやく国境を通過。ウズベキスタンはさらに時差1時間あるので、時計を戻します。ウズベキスタン時間で12時。荷物を運んできたトラックやタクシーが待っています。f:id:pristine:20160622224152j:plainとりあえず国境から一番近い大きな町、アンディジャンまで行こうとしたのですが、タシケントまで行けることになり、タシケントまで出発!

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f:id:pristine:20160622224202j:plain街並みも中国とは全く違い、キルギスとも違うような。東ヨーロッパ的な匂いがし始めます。中央アジアというより、かつて旅したボスニア・ヘルツェゴビナあたりに近いような。

アンディジャンを通過。タシケントまでは350kmf:id:pristine:20160622224206j:plain

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f:id:pristine:20160622224218j:plain結構年代物の車がたくさん。

f:id:pristine:20160622224221j:plain砂漠の世界から変わり、緑のフェルガナ盆地を進みます。この辺りは、「シルクロードの中の極めて豊潤なオアシス」で、ウズベキスタン随一の穀倉地帯です。しかし、これだけの緑を見るとこれまで砂漠や険しい山ばかり見てきた身からするとかなりホッとする光景です。かつてシルクロードを旅した人々も同じだったことでしょう。

f:id:pristine:20160622224225j:plain一本道をひたすらまっすぐに走り、

f:id:pristine:20160622224229j:plain途中のガソリンスタンドならぬガススタンドでガスを入れ休憩。ウズベキスタンではかなりの数の車がガソリンではなく天然ガスで走ります。その方が安いらしく、ガソリンよりガスの方が多くの車で混雑しています。

f:id:pristine:20160622224236j:plainコーカンドの街を越え、15時頃にはフェルガナ盆地から抜ける峠に入りました。交通の要所のようで、鉄道駅や検問所など所々でドライバーから「ここでは写真を撮ってはいけない、カメラを隠せ」と言われました。

f:id:pristine:20160622224232j:plain大量のタンクローリーが行き来しています。フェルガナ盆地には油田があり、製油所もあります。このオレンジ色のタンクローリーが何十台も隊列を組み、ゆっくりと警護のパトカーに守られながら走っています。過激派などの襲撃を警戒しているのでしょうか。

f:id:pristine:20160622224244j:plain再び平坦なまっすぐな道を進みます。

f:id:pristine:20160622224240j:plain夕方17時ぐらいになり、まだ日は高いのですが、夕食休憩。ウズベクスムがないというと、タシケントまでの客を捕まえられて嬉しいのか、ドライバーが上機嫌におごってくれました。

f:id:pristine:20160622224248j:plain18時過ぎ、まだ日のあるうちにタシケントの街に入ります。広い道、高層建築。

f:id:pristine:20160622224255j:plain街の中心部に入ります。街路樹と芝生が美しい綺麗な街です。中央アジアで一番の都会というのも頷けます。

f:id:pristine:20160622224251j:plainシティーツアーの二階建てバスもあったり・・・。ウズベキスタンを代表する(?)ホテルウズベキスタンの巨大なビル。

f:id:pristine:20160622224259j:plain日が暮れかける頃、目的地のホテルタシケントパレスに到着。今回最後の宿になるので、かなり奮発していいホテルに泊まってみました。

f:id:pristine:20160622224302j:plainちなみに、正式には「ロッテシティホテルタシケントパレス」で、韓国の資本が入っているのですが、「ロッテシティホテル」と言っても全く地元の人には通じません。「タシケントパレス」というとわかってくれます。国境からのタクシーも「ロッテシティホテル」というホテルは知らない、と、あちこちに電話して尋ねていましたが分からず、「タシケントパレス」でようやく場所を把握していました。

ウズベキスタン時間で19時、ようやくタシケントに到着です。オシュから11時間の旅でした。

【この日の移動距離】440km

今回のイルケシュタム峠超え▼

ここまでのコース▼

【累計】7340km

day 12(2) イルケシュタム峠からオシュへ

f:id:pristine:20160620231005j:plain国境のキルギス側。ここでキルギス側から来る車に乗り換え、キルギスのイミグレに向かいます。車は無料。最初の100元に含まれているのでしょう。

10分ほどでイミグレに到着。

f:id:pristine:20160620231157j:plain特に厳しいチェックもなく通過。北京時間14時過ぎ、キルギス時間はそれより2時間の時差で、12時過ぎということになります。キルギスは日本人はノービザで入国できるので、パスポートを出すのみ。

f:id:pristine:20160620231348j:plainイミグレから先に行って左側のところにタクシードライバーが待っています。オシュまで200元。これまでの相場からすると高いような気がするのですが、まかりません。

キルギス時間12時30分、計4名の乗合タクシーでオシュへ出発。

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f:id:pristine:20160620232127j:plain美しい高原の景色が続きます。

f:id:pristine:20160620232116j:plainところどころに放牧の牛や馬がいて、時折彼らの通過を待ちます。道は中国側ほどではないものの、舗装され整備されており、以前の旅行記にあったような悪路ではなくなっていました。

今回のタクシーに同乗の3人は、2人が中国人の夫婦で、イルケシュタムの先のサリタシュの近くで建設工事をしているとのこと。オシュに住んでいて、そこに奥さんを連れて行くところだそうです。夫婦の住まいが用意されているぐらいですから、それなりの立場の方なのでしょう。もう一人はオシュに貿易の仕事で行くところだそうです。

途中立ち寄ったその建設現場からサリタシュの村を望みます。彼らの話によると、中国の援助によってイルケシュタム峠からオシュまでの道を改修している、そして、その仕事を請け負っている会社に勤めているのだとのこと。この辺りには一帯一路政策の影響なのか、かなり中国資本が投下されている印象です。

f:id:pristine:20160620234130j:plain途中、現場に寄らせて欲しいということで立ち寄ります。

f:id:pristine:20160620232710j:plain中央に小さく見えるのがサリタシュの村。立ち寄ったお礼ということなのかおすそ分けでパンをいただきます。

f:id:pristine:20160620233045j:plainこの辺りは標高3300mぐらい。美しい山が続きます。

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山、そして高原。高原では所々で放牧が行われています。

途中で馬酒のスタンドで酒を買い、回し飲みしながらオシュへ向かいます。ちょっと飲んだけど微妙な・・・癖のある薄いヨーグルトみたいな。でもおごってもらったので文句は言いません。

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f:id:pristine:20160620233925j:plain九十九折の道を進み、

f:id:pristine:20160620233317j:plain徐々に山が低くなり・・・

f:id:pristine:20160620233313j:plainかわいいユルタなども見ながら・・・

f:id:pristine:20160620233320j:plainキルギス時間16時すぎ、結果的に10時間と、圧倒的な速さでイルケシュタム峠を走破し、ついにオシュの街に到着しました!
ヒッチハイクなどで格安に移動した人もいるようですが、時間を優先したこともあり、結果的にカシュガル=オシュ間の国際バス(520元)と同じぐらいの運賃はかかってしまいましたが、22時間ぐらいかかるという国際バスよりはるかに早く到着することができました。

早速、日が暮れるまでにオシュの街の散策に出かけます。

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中心街は工事中。この辺りには両替屋がたくさん集まっています。ネパールっぽいような雰囲気?f:id:pristine:20160620233355j:plain

オシュには世界遺産があります。スレイマン=トゥー。信仰の対象となっている山です。史跡公園になっています。日のあるうちにここまでこれて感激。

f:id:pristine:20160620233350j:plainはためくキルギス国旗。

f:id:pristine:20160620233403j:plain街が一望。

f:id:pristine:20160620233359j:plain山頂にはモスクがあり、何人もの人が祈りを捧げていました。今なお地元の人々の信仰を集めているようです。

下山してさらにまち歩き。市場もなかなか盛況です。

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オープンテラスのある店でラグマンをいただきます。

今晩の宿はこちら。高原のホテルといった風情。清潔でwifiもあり、レストランもあり、なかなか快適なホテルです。

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英気を養い、明日は再び国境を越え、ウズベキスタンの首都、タシケントを目指します。

【この日の移動距離】490km 【累計】6900km

day 12(1) さよなら中国。イルケシュタム峠へ

f:id:pristine:20160617232547j:plain久しぶりのカシュガル。事情あって(大したことない事情と大したことある事情があり)しばらくお休みしていましたが、いよいよ難所、イルケシュタム峠を越えてキルギスのオシュに向かいます。

イルケシュタム峠越えには2つの方法があって、乗合タクシーなどを乗り継いでいく方法と、国際バスがありますが、曜日の都合とできる限り早く、日のあるうちにオシュまでたどり着きたいと思ったので、よりスピーディーな乗り継ぎコースで進みたいと思います。

起点は、早朝のバスターミナル。ここからまず最初のイミグレがあるウルグチャットまで行く乗合タクシーがあるはずです。

f:id:pristine:20160617233739j:plain窓口で切符を買うようにということなので、窓口に行き「ウチャ(烏恰)」と行き先を告げると、端末をパタパタと叩いて、「没有(メイヨウ)」と一言。なに!?早速大ピンチです。話を聞くと、今日ウルグチャットに行く車は一台もないとのこと。カシュガルくんだりまで来て、峠越えできませんでしたというわけにはいかない!

そこで、発想を変えて、バスターミナル前にたむろするタクシーと交渉。要は4人分出せば行ってくれるはず。こうなったら致し方ありません。何とか交渉成立。贅沢にも1台タクシーチャーターでウルグチャットに向かいます。北京時間9時、新疆時間7時に出発。

f:id:pristine:20160617234914j:plainさらばカシュガル

f:id:pristine:20160617234921j:plainすぐ山がちに。

f:id:pristine:20160617234926j:plain道はかなり整備されており、快調に飛ばしていきます。

f:id:pristine:20160617234931j:plain間も無くウルグチャットの看板が。

f:id:pristine:20160617235105j:plainおよそ1時間強。午前10時20分頃、ウルグチャットのイミグレに到着です。ここで中国の出国手続きをします。とはいえ、ここは本当の国境よりも140kmも離れています。

出国審査を受け、いよいよ国境越えですが、ここは専門の乗合タクシー(今回は下の写真の黒い車)に乗る以外に方法がありません。値段は一人100元で固定。イミグレの職員が案内してくれます。値下げは一切効かない代わりに、これ以上も請求されません。日本円にして2000円弱、まあ仕方ないかと。

f:id:pristine:20160618000450j:plainなんやかやと1時間ぐらいかかり、11時30分頃、国境に向け出発。この時期はあまり国境を越える人間はいないようで、人が集まるのかやきもきしました。

f:id:pristine:20160618000910j:plainこの先の道もかなり整備されています。

f:id:pristine:20160618000916j:plain11時40分、途中の康蘇の料金所を通過。

f:id:pristine:20160618000921j:plainイルケシュタムまでまだあと100km

f:id:pristine:20160618001907j:plainひたすら進みます。広い空、険しい山。

f:id:pristine:20160618001914j:plain途中の町。

f:id:pristine:20160618001919j:plainついに国境近くなるとロシア語が。英語も。ただ、単語の間にスペースを空けることをしないので最初何が何やらわかりません。

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北京時間13時ちょい前、ようやく本当の国境に到着しました。ここではパスポートチェックはあるものの、出国手続きは前のイミグレで済んでいるので、特に何もありません。

f:id:pristine:20160618001325j:plainついでに、周りにも何もありません。かなり厳しい環境を耐えていると思しき建物が数軒。パスポートを集められたまま、しばらく待ちます。この国境には昼休みがあると聞いていたので、昼休みに入られてしまったかと危惧。ドライバーに聞いてみても、「まあ、待て。」と。

幸いなことに、30分ぐらいして進んでよし、ということになり、迷彩服姿に小銃装備の国境警備隊員を乗せて、再び先に進みます。反対側にはトラックの長蛇の列。なかなか物流の要になっているようです。でもトラックは全く進んでいませんが。

f:id:pristine:20160618003059j:plain20分ぐらい走って、13時50分頃、停車。

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ここがどうやらキルギスとの国境のようです。この白っぽいコンクリートの向こう側がキルギスとのこと。中国側の車はここまで。中国の国境警備隊と、キルギス側の迎えの車を待ちます。キルギスに入ってみたり戻ったりを繰り返してる同乗の人。

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しばらくして、キルギス側の車が来ました。あの斜面の中腹にある碑がどうやら国境を示すもののようです。

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さて、ここからキルギスに入ります。

day 11 今日も飛ばない

f:id:pristine:20160616235922j:plain翌朝。カシュガルの朝です。霞む空、今日も視界が悪いのが気にかかりつつ、空港に向かいます。

f:id:pristine:20160616235844j:plain相変わらず霧のような。この地域では時折砂嵐が発生し、視界が悪くなる時があります。思えば、列車も砂嵐でだいぶ遅れていたのでした。

f:id:pristine:20160616235630j:plain空港には来たものの、一向に飛行機がやってくる気配はありません。着陸できさえすれば離陸はそんなに問題ないはずなのですが…。視界の悪い中着陸させるには、計器飛行ができる機器を備えなくてはなりません。ターミナルビルは立派ですが、どうやらそうした設備はこの空港にはないようで・・・

結局、この日も夕方になりやはり飛行機は来ないということになり、ホテルへ。
せっかくなので、街に出て散策です。

f:id:pristine:20160616235646j:plain夜もなんとも言えない風情があります。モロッコや以前旅したシリアやヨルダンのような雰囲気。日本からウラジオストク、中国を横断してここまで、地域ごとにいろいろな街の表情がありますが、もうここは中東の文化圏なのだなと改めて実感しました。

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f:id:pristine:20160616235658j:plain屋台でご飯を食べ、

f:id:pristine:20160617000401j:plainホテルに戻ると、何やら慌ただしい動きが。聞いてみると、どうやら飛行機が飛ぶかもしれないとのこと。慌ててバスに乗り空港に向かいます。街中でのんびりしすぎていなくてよかった!

深夜0時ごろ、ついに飛行機が到着!!2日にわたって足止めされていた乗客からは、飛行機が着陸した時拍手がわいたほど。

f:id:pristine:20160617000607j:plain夜通しフライトし、真夜中のウルムチを経由して、翌朝上海虹橋空港にたどり着きました。

次回の旅はまたカシュガルから続きを旅します。