Chopped Around the World 〜こまぎれ世界一周

世界一周はしたいけど、仕事は辞められない。 わずかな休みをこまぎれにつなぎながら、少しずつ陸路で世界一周を目指します。

day 14(2) 青の都、サマルカンドで日本語を聞く

f:id:pristine:20160625222625j:plainサマルカンド駅で声をかけてきたのは地元のサマルカンド国立外国語大学で日本語を専攻している学生でした。まさかウズベキスタンで日本語をしゃべる人間に会うとは思っていませんでした。
アルバイトと会話の実践を兼ねて日本語ガイドをやっている、もしよかったらどうか、今日、最後に満足してくれればガイド料をくれればいい、という話で、普通は警戒するのですが、なぜか大丈夫そうな気がしてお願いしてみました。

f:id:pristine:20160625222632j:plain学生らしく、駅前からバスに乗り、その後は歩いていきます。

まずは、アミール・ティムール廟(グリ・アミール)。グリ・アミールとはタジク語で「支配者の墓」という意味だそうで、ティムールとその子孫たちが眠る廟。

f:id:pristine:20160625222642j:plain青の都、にふさわしい美しい外観だけではなく、

f:id:pristine:20160625222647j:plain内部も金色が織り混ざった美しい青。

f:id:pristine:20160625222651j:plain再び歩いて向かったのは・・・(後ろ姿は例のアルバイトガイドのブニヨドくん)

そう、サマルカンドのハイライト!レギスタン広場!!f:id:pristine:20160625222655j:plain青の都、イルラーム世界の宝石、東方の真珠、など数多の名前を持つサマルカンドを代表する、象徴する広場です。600年以上前、13世紀に作られたという3つのメドレセ(イスラームの学校)は、今なお人々の心をつかんで離しません。

f:id:pristine:20160625222658j:plainちょうど4月。桜とメドレセ。

ここでは、少々のお金を警備員に渡すと塔に登らせてくれます。f:id:pristine:20160625222701j:plain暗い階段をひたすら登り、小さい隙間から上がると・・・f:id:pristine:20160625222705j:plainレギスタン広場だけでなく、サマルカンドの街を見渡す見晴らしが。かつて、この塔から礼拝の時間を知らせるアザーンを唱えていたのかと思うと、何か感慨深いものがあります。f:id:pristine:20160625222708j:plain

続いて、レギスタン広場から「タシケント通り」を歩いて街の北のほうに向かいます。「タシケント通り」はきれいな店の立ち並ぶサマルカンドのメインストリート。多くの人が遊んだり待ち合わせたり散歩したりと思い思いに過ごしています。f:id:pristine:20160625222711j:plain

タシケント通りの先にはバザールが。f:id:pristine:20160625222714j:plain

バザールを抜けていくと、シャーヒズィンダ廟群という、ティムールゆかりの人々のお墓が立ち並ぶ「死者の通り」とも呼ばれる聖地があります。f:id:pristine:20160625222718j:plainしかし、どれも美しい青。この深い青色。この色を見るためにサマルカンドに来たと言っても過言ではありません。昔々、中学生ぐらいの頃に社会科地図帳で見た青の都、その頃からいつかこの目で見てみたいと思っていました。f:id:pristine:20160625222723j:plainついにその思いが実現したことは本当に嬉しいとしか言いようがありません。

続いて、ブニヨドくんの友達のタクシーに乗り(こういうところから少しづつ分け前ももらっているのだと思うのだが)、ウルグベク天文台跡へ。f:id:pristine:20160625222729j:plainウルグベク天文台では、何故か日本人と写真を撮りたいということで、地元の中高生ぐらいの学生たちが一緒に写真を撮らせてくれと言ってきます。どうやら、サマルカンドウズベキスタンでの人気の修学旅行先でもあるようで、全国から人々が集まってくるのだとか。そしてアジア人が珍しいので、一緒に写真を撮りがるのだそう。まあ、パンダと一緒に写真撮るようなものですな。ここだけではなく、この前後、かなりの回数一緒に写真撮ってくれと言われました。彼らのデジカメや携帯電話の中にはアジア人の代表としての僕の写真が入っていることになりました。

天文台の博物館に展示されていたシルクロードの地図。f:id:pristine:20160625222726j:plain

次に向かったのはアフラシャブの丘。朝乗った列車の名前の由来のようです。13世紀の早い頃、モンゴル軍に破壊された最初のサマルカンドの街のあったところだそうです。f:id:pristine:20160625222733j:plainしかし

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今、いるのは羊と牛だけ・・・

f:id:pristine:20160625222739j:plain再び歩いて、バスに乗り、住宅街の中にある紙すき工房へ。8〜9世紀の頃、サマルカンドは中近東一の紙の生産地だったそうで、ここでは当時の製法を再現して、「サマルカンド・ペーパー」のいろいろなペーパーアイテムを作っているとのこと。f:id:pristine:20160625222743j:plainお茶をいただきながら見学。紙すきがどうというより、この場所自体がなんとも居心地の良い場所…

しばらく居させてもらって、バスで市街に帰ろうとしますが、なかなか来ないので、少し歩きながらバスを待つことになりました。f:id:pristine:20160625222749j:plainサマルカンドの住宅街。

f:id:pristine:20160625222752j:plainなかなかワイルドな肉屋。

f:id:pristine:20160625222756j:plainようやく来たバスに乗り、そろそろ夕食どきなのでレストランに向かいます。

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ガイド代兼ねて、一緒にどうかとブニヨドくんを誘いました。彼の夢としては、日本語を生かして、卒業後はタシケントに出て外務省などに勤めて、行く行くは日本のウズベキスタン大使館か、タシケント日本大使館で仕事をしたいとのこと。そのために、近いうちに日本への留学も考えているということでした。

彼のガイドはなかなか的確だったので、食事と共に大した額ではありませんが、ガイド料を渡しました。「留学に向けた資金にしたい」と言っていました。

そして夜も更け…。夜のサマルカンド駅から夜行列車に乗り、次の目的地ヒヴァの最寄り、ウルゲンチへ向かいます。f:id:pristine:20160625222808j:plain実は、この夜行列車、日本からインターネットでロシア国鉄のサイトを通じて予約していたのですが、ロシア国鉄の予約書では、ウズベキスタン国鉄の駅では切符を発券できないとのこと。どうやら、ロシアと旧CIS諸国の予約発券システムは共通で、相互に発券できるので、ロシア国鉄のインターネット予約は旧CIS諸国内の列車も予約&購入できてしまう。だけど、これを有効な切符に引き換えることができるのはロシア国鉄の駅だけだということでした。注意が必要です。

ロシア国鉄の予約書▼f:id:pristine:20160625222804j:plainそして切符がないとホームにも行けない、それどころか検問を通れず駅の中にも入れないということで、仕方がないので、改めて最も安い開放寝台の切符を買い、改札を抜けた後で、車掌に交渉して予約の1等寝台に変えてもらおうと画策。なんとか成功したのでした。開放寝台のチケット分は損しましたが、せっかくの1等寝台が無駄にならず何より(とはいえ、1973ルーブル=約4000円ですが)。

列車に揺られ、ヒヴァを目指します。