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Chopped Around the World 〜こまぎれ世界一周

世界一周はしたいけど、仕事は辞められない。 わずかな休みをこまぎれにつなぎながら、少しずつ世界一周を目指します。

day 22(2) エリスタからボルゴグラードへ

f:id:pristine:20170509234923j:plainエリスタのバスターミナルの時刻表。バスターミナルは鉄道駅と同じ場所にあります。鉄道の旅客営業はどうも現在は行われていないようで、他の街への交通はバスが中心のようです。朝9時に来たところ、次のボルゴグラード行きは11時とのこと。

f:id:pristine:20170509235819j:plain切符。11時発、エリスタからボルゴグラード。8番の座席。635ルーブル(≒1300円)。購入はKACCAと書かれた窓口で、パスポートが必要です。チケットにも名前とパスポート番号が記載され、リストはドライバーにも渡されて乗車時にチェックがあります。

f:id:pristine:20170509235040j:plainバスと思ったらミニバスでした。ドライバーや車掌は別にして、16人乗りぐらい。このバス、意外と海外では見ることが多くて、昔、東エルサレムからパレスチナ自治区ベツレヘムまで乗ったバスもこれだったような気がします。

f:id:pristine:20170509235046j:plainどうやら、エリスタボルゴグラードだけでなく、エリスタを超えてスタブロポリまで行くバスとしても運行している模様。

f:id:pristine:20170509235107j:plain立ち乗りもいる満員ぶり。彼らはエリスタから1時間程度の途中の街(集落?)まで乗って行きましたが、直接ドライバーにお金を払っていたところを見ると、どうやらバスターミナルで売っている切符とは別にローカル輸送的なものもあるのかも。

f:id:pristine:20170509235114j:plain徐々に人が降りてやっとひと心地。やや起伏のある草原を好調に走り抜けて行きます。

f:id:pristine:20170509235119j:plainこのままならボルゴグラードまで3時間ちょっとで着くかもと思いきや、途中の街に寄り道して行きます。ここはケチェネリ。エリスタから北に100キロちょっと。

f:id:pristine:20170509235124j:plain次はサドヴォエ。建物にはスプートニクと書かれていますが・・・人工衛星スプートニクにあやかったのでしょうか?

f:id:pristine:20170509235130j:plainそれぞれの街で10分ぐらい停車するので、降りて体をほぐします。

この街までがカルムイキア共和国。写真はありませんがこの街を発車してしばらくして検問所があり、全員の身分証明書とパスポートが回収されてチェックを受けました。

さらに1つ街に寄り・・・

f:id:pristine:20170509235148j:plain遠くに工場のようなものが見えて来ました。

f:id:pristine:20170509235156j:plainいよいよボルゴグラードの市街に。ここからバスターミナルまで飛ばしても30分ぐらいかかる大きな街です。

f:id:pristine:20170509235159j:plainこれまで見なかったような大きなショッピングセンターが。

f:id:pristine:20170509235203j:plain結局、出発から5時間半かかってモスクワ時間16時30分にボルゴグラードのバスターミナルに到着。

f:id:pristine:20170509235208j:plainボルゴグラードの街並み。

このボルゴグラードは、第二次大戦時代はスターリングラードと言い、第二次大戦での最大級の激戦の一つ、スターリングラード攻防戦によって徹底的に破壊されました。凄惨な市街戦により、戦死者数は200万人、開戦時60万人いた市民は、攻防戦終結時点で9800人にまで減っていたと言われています。

あるドイツ人将校の手記(NHK映像の世紀」より)

スターリングラードはもはや街ではない。日中は、火と煙がもうもうと立ち込め、一寸先も見えない。炎に照らし出された巨大な炉のようだ。それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、犬でさえヴォルガ河に飛び込み、必死に泳いで対岸にたどり着こうとした。動物はこの地獄から逃げ出す。どんなに硬い意志でも、いつまでも我慢していられない。人間だけが耐えるのだ。神よ、なぜわれらを見捨て給うたのか。

f:id:pristine:20170509235212j:plain駅に到着。この噴水「子供のダンス」は、エマヌイル・エヴゼリヒンというロシア人写真家のスターリングラード攻防戦を報じる写真で有名になりました。今、ここに写っているのは2013年に再建されたものです。

f:id:pristine:20170509235216j:plain駅の両脇にはスターリングラード包囲戦の時の兵士たちのレリーフが飾ってあります。

f:id:pristine:20170509235221j:plainここからは列車。本当は今朝にはボルゴグラードについて、一日ボルゴグラードを巡る予定だったのですが、アストラハンでの遅れが全く取り戻せないままなので、早速、モスクワを目指します。

f:id:pristine:20170509235225j:plain時間があれば直接見に行きたかったのですが、ママエフ・クルガンの母なる祖国像を車窓から眺めます。思ったより厳しいお顔。

f:id:pristine:20170509235228j:plain徐々に夕暮れ。

f:id:pristine:20170509235232j:plainところどころに現れる街と、草原を眺めながら、夕食。

明日はいよいよモスクワに到着します。

【今日の移動距離】690km 【累計】11,420km

 

day 22(1) エリスタの街を歩く

f:id:pristine:20170507233440j:plainこの時期の日の出は朝5時。ちょっと早起きしてエリスタの街を散策します。

f:id:pristine:20170507233450j:plainホテルの隣の建物には、「FIDE」国際チェス連盟のマークが。ここエリスタはチェスの街として有名なのですが、この建物も何か関係があるのでしょうか。

f:id:pristine:20170507233454j:plain売店にはカルムイク共和国のシンボル、ハスのマークが書かれています。

f:id:pristine:20170507233459j:plainこの時期はハスの花というより、山桜のような桜がちょうど咲く時期。

f:id:pristine:20170507233504j:plain歩いて公園に行くと、なにやら東洋的な石像が。その横にはタルチョ(チベット仏教における5色の祈祷旗、風にたなびくたびに読経したことになるという)が結び付けられています。

f:id:pristine:20170507233507j:plainこちらは、日本人の彫刻とのこと。調べてみると、山中環さんという日本人の彫刻家の方がエリスタで行われた1997年・98年に開催された国際彫刻シンポジウムに参加して現地で製作した石彫とのこと。

f:id:pristine:20170507233512j:plainカルムイク共和国はテロとは無縁のような平和な空気が流れていますが、ちょっと南に行けば2度のチェチェン紛争を経験したチェチェン共和国や、ダゲスタン共和国などと地理的に近い所にあるためか、テロへの警戒を呼びかける看板が見られます。これは見知らぬ荷物への警戒を訴え、見つけたら100m離れること、触らないこと、112番に緊急通報すること、カルムイキアはテロに負けない、と書かれています。仏教的なデザインの枠と、中身の生々しさが妙なコントラストです。かつて訪れたラサに通じるものを少し感じます。

f:id:pristine:20170507233517j:plainバス停もそれらしいデザイン。

f:id:pristine:20170507233523j:plain歩きながら、バスターミナルを目指します。

f:id:pristine:20170507233527j:plain動物病院。というか直訳すれば動物向けの薬屋さん、か。

f:id:pristine:20170507233532j:plainあるロータリーのところにはストゥーパが。日本語で言えば卒塔婆。ここにもタルチョがはためいています。

f:id:pristine:20170507233543j:plainスーパーの看板。心なしか東洋人的な顔。

f:id:pristine:20170507233550j:plainエリスタの団地の佇まい。私、東京都内の団地育ちなもので、何かとてつもなくノスタルジーを感じる風景です。自分が生まれ育った団地もこんな5階建てぐらいの団地が整然と並ぶ街でした。40年前ぐらいは、世界的にこういう時代だったんでしょうね。

f:id:pristine:20170507233555j:plainさすが仏教国だけあって、壁の落書きも仏像ですが・・・

f:id:pristine:20170507233558j:plain一方でロシアらしいマッチョな感じもあったりして、仏教文化とロシア(あるいはソ連)文化がびみょーに混ざり合っているような印象を受けます。

f:id:pristine:20170507233602j:plain街は郊外にも伸びています。

f:id:pristine:20170507233607j:plainこちらは、前大統領が私財を投げ打って建造したという、国際仏教センター「Golden Abode of Buddha Shakyamuni」。広大な敷地に広がる大きな寺院で、ヨーロッパ最大の仏教寺院と言われます。

f:id:pristine:20170507233617j:plainちょうど訪れた4月30日は10時からセレモニーがあるとのこと。

f:id:pristine:20170507233626j:plain撮影禁止だったので中の写真はありませんが、寺院の中に入ると、中央にオレンジ色の法衣を纏った僧侶たちが、大きな仏像の前で読経をしていました。
日本から遠く離れたこの地で、僧侶たちの勤行に参加できたというのは何か不思議な感慨を受けます。

参加している人々は、半分は仏教を信仰するカルムイク族の人々、残りの半分は観光をしているロシア人という感じでした。ただ、観光をしているロシア人たちもマナーはよく、手こそ合わさないものの、門を出るときに十字を切るなど、彼らなりの誠意を見せている感じを受けました。

f:id:pristine:20170507233622j:plainここにもタルチョが。

f:id:pristine:20170507233631j:plain広い敷地に仏像とマニ車が配置されています。

そろそろバスが出発する11時が近づいてきました。f:id:pristine:20170507233641j:plainバスターミナルに向かいます。

午後は、ボルゴグラードに向け出発です。

day 21 世界で最も西にある仏教国・カルムイキア共和国、エリスタへ

f:id:pristine:20170505225939j:plainふたたびのアストラハン。旅を再開したいと思います。今日の目的地は、世界で最も西にある仏教国、ロシア連邦の中のカルムイキア共和国、その首都であるエリスタです。

f:id:pristine:20170505225943j:plain前回の旅を終えたアストラハン空港。実はこの時点で当初の予定から5時間遅れ。今回はアエロフロートで、モスクワ・シェレメチェボ空港乗り継ぎでここまで来る予定が、フライト遅れ&まさかの入国審査1時間半待ちでフライトに間に合わず、次の便で来ることになったのです。(しかも、ドモジェドボ空港発だったので、モスクワを縦断して乗り継ぎ…)

なので、エリスタに最も早く到着すべく、タクシーに交渉。行けるよという運転手には会えたものの、しかしやはりここは足元を見られているからか7000ルーブル(≒1万4000円)から下がらず。しかしここからエリスタまで300キロあるのでまあ仕方がないかと。

f:id:pristine:20170505232306j:plainさて出発!

f:id:pristine:20170505225952j:plainさっそく、2000ルーブルの前払いを要求されガソリンスタンドへ。まずは燃料満タンにして向かいます。ちなみに車に表示されている燃費と距離を考えると、往復にかかるガソリンはおよそ80リッター、GSの表示を見ると大体1リットル33ルーブルちょいぐらいなので、2700ルーブル。ということは運転手の手取りは4300ルーブル(≒9000円弱)というところでしょうか。ロシアの平均月収は34000ルーブルということなので、3日分の稼ぎという感じですかね。値切れば値切れたかなあ。まあいいやね。

f:id:pristine:20170505232346j:plain街中をぐにゃぐにゃと進みながら。奥さんに今日は遅くなると電話するドライバー。

f:id:pristine:20170505230000j:plainボルガ川を渡ります。ゴツくて素敵な橋。

f:id:pristine:20170505230009j:plainすぐに郊外に出て何もない湿地帯が続きます。

f:id:pristine:20170505230017j:plainこの辺はボルガ川の支流や湿地がひろがります。水がある割には土地がやせているのか木は生えず草原やステップが連なるのみ。

f:id:pristine:20170505230027j:plain何もない草原をひた走る…

f:id:pristine:20170505230035j:plain塩湖。よく見ると何やら人が立っているのですが、何してるのでしょう。ドライバーが「ソルト、ソルト!」と連呼しています。何か説明してくれましたが、私のロシア語知識ではよくわからず。

f:id:pristine:20170505230042j:plain時折遠くに馬やら牛やらが現れます。放牧されているようです。

f:id:pristine:20170505230050j:plainロシア語の全くわからない日本人にも、運転手さんがひときわ強調したのはこの記念碑。1941-1945と書かれているので、第二次大戦に関係するものでしょう。俺たちはファシストから国を守ったんだぞ!的なことを一生懸命言っています。よく考えたらもうすぐ5月9日はロシアの戦勝記念日。そんな背景もあったのかもしれません。

f:id:pristine:20170505230057j:plain小さな町をいくつか通り過ぎます。

f:id:pristine:20170505230104j:plain街道沿いの小さな店に集まる若い人たち。

f:id:pristine:20170505230111j:plain300キロの道のりもようやくあと85キロ。やっと100キロ切りました。

f:id:pristine:20170505230118j:plainさらに草原を走ること1時間弱。突如「エリスタ」と書かれたモニュメントが。エリスタ市に入ったようです。

f:id:pristine:20170505230125j:plainようやくエリスタに到着。

f:id:pristine:20170505230131j:plainここまで300キロをほぼ3時間ぶっ続けでなかなかいいペースで運転してくれたドライバーさんに感謝。おかげさまで日が暮れる前にエリスタに着けました。

f:id:pristine:20170505230142j:plain今日のホテルはこちら。Hotel Belyy Lotus=白い蓮という意味だそうです。ホテルというより何かの会社みたいな外観。荷物を置いてさっそく散策に行きます。

f:id:pristine:20170505230150j:plain来ました!明らかにチベット仏教と同じ流れをくむ装飾。

f:id:pristine:20170505230201j:plain公園には金色の仏像とマニ車が。

f:id:pristine:20170505230207j:plain街の中心部には、パゴダがありました。名前は"Пагода Семи Дней"、直訳すれば7日のパゴダという名前です。仏教で7日間というのは何か意味があるのでしょう。人が亡くなったら7日おきに閻魔大王の裁きがあるといいますし。

ここ、カルムイク共和国は、世界で最も西に位置する、仏教を信じる人々が多くを占める国です。国といってもロシア連邦の中の1共和国ということなのですが。ここに住む人々は、かつてスターリンの時代にシベリアに強制移住させられ、その後1950年代後半になってようやく戻ることができた苦難の歴史があるといいます。そして、ソ連の崩壊を経て、前大統領キルサン・イリュム ジーノフ大統領の時代になって、ようやくお寺の再建など信仰を取り戻すことができたのだといいます。これらのパゴダなどもそのころ再建されたそうです。

f:id:pristine:20170505230221j:plain広場の周りには、旗がはためいています。青、赤、黄、白と、赤い丸に白と緑と黄色の旗の組み合わせ。チベット仏教の基本色の5色にも似ていますが、水を表す緑がありません。

f:id:pristine:20170505230228j:plain一方で、微妙に西洋的なモニュメントも。Яはロシア語で私、という意味ですから、I love Elistaということで。

f:id:pristine:20170505230239j:plainこちらは博物館のようです。

f:id:pristine:20170505230243j:plain気が付くと19時。エリスタの夕暮れです。

ほとんどお店もあまり見当たらない街。夜出歩くよりも明日早く起きたほうが楽しそうです。ちなみに、この後レストランを紹介してもらって向かったのですが見当たらず。結局スーパーで色々買って食べました。夜遅くまでやっているスーパーも何軒かはありました。

明日は、エリスタからボルゴグラードを目指します。

【今日の移動距離】320km 【累計】10730km

day 20 アストラハン、クレムリンとレーニンとキャビアと

f:id:pristine:20161126222953j:plainアストラハンの夜明け。24時間以上炎暑の列車に乗っていたので、ベッドの上から見る朝日が気持ちいい。

早速、街を散策したいと思います。f:id:pristine:20161126223008j:plain泊まったホテルはNovomoskovskaya。設備も新しく、部屋は広くてバスタブもあり、街の中心部で、最大の見所クレムリンのすぐ近く、見た目も立派で、英語も通じるのに日本円にして7000円弱。ルーブル安でロシアの物価はかなり安く感じます。

f:id:pristine:20161126223025j:plainちらほらと子供連れが歩いている公園を抜け、しばらく歩きます。

f:id:pristine:20161126223045j:plainこの街ではまだレーニン像も健在。

f:id:pristine:20161126223115j:plain街並みは帝政ロシア時代以来の街並みが残っています。これまでの中央アジアイスラム都市〜砂漠の中の旧ソ連式都市から一気に雰囲気が変わり、ヨーロッパに来たという実感が。

f:id:pristine:20161126223143j:plainステップ気候に属するこの街では夏はかなり暑く、街ゆく人々は真夏の装い。ちなみにこの日の気温は35度。一方で冬は寒く、1-2月には最高気温が氷点下になるとのこと。なかなか厳しい気候です。

f:id:pristine:20161126223212j:plain中心部から外れると、旧ソ連ぽい建物も多少あり・・・そしてロシアに来たということを意外と実感させられるのは、「BANKOMAT」の文字。銀行ATMがあるのです。キルギスウズベキスタンでは、通貨が安定していないこともあり街中にATMがありません。(ウズベキスタンではあれだけの数の紙幣を機械に入れておかなければならないわけですし、物理的に無理ですよね)

f:id:pristine:20161126223233j:plainとはいえ、景気は決して良くはないようで、あちらこちらに閉店した店舗と、аренда(=for rent)の文字。なかなかテナントも入らないよう。

f:id:pristine:20161126223303j:plain映画館を発見。

f:id:pristine:20161126223308j:plainちょっと懐かしい感じがします。あまりシネコンみたいなものはないようです。

f:id:pristine:20161126223319j:plain街の目抜き通りに来ました。まだ昼間だからなのかあまり人通りがありません。

f:id:pristine:20161126223312j:plainシナボン発見。このほかこの通り沿いにはマクドナルドなんかもあって、なんというのかいわゆる西側諸国っぽい感じがしてくるのが寂しいようなほっとするような。到着した夜に、迎えの車の運転手にATMがあるか尋ねた時に、「もちろんあるさ、だってアストラハンだからね、なんでもあるよ!」と言っていたのが思い出されます。

f:id:pristine:20161126223323j:plainさらに歩くと、ヴォルガ川のほとりに出ます。川岸に蓮の花が咲く中、ヨットが練習しています。

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市内の小さな橋は恋人たちが永遠の愛を誓う場所になっていました。f:id:pristine:20161126223333j:plain欄干に見えるのは、全部鍵。二人で鍵をかけて愛を誓う「愛の鍵」というのはロシア全土で流行っているようです。

さて、アストラハンで一番のみどころ、世界遺産にも登録された「アストラハンのクレムリン」に向かいます。f:id:pristine:20161126223351j:plainアストラハンは、1556年にロシアがアストラハン・ハン国を征服して以来、アジアへの交易の要であった都市。このクレムリンはイヴァン雷帝時代に建てられたそうです。

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外は酷暑ですが、建物の中は涼しく、祈りを捧げている人も多く見かけます。f:id:pristine:20161126223358j:plain

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建物だけではなく、中は大きな庭園になっていて、日陰も多くて気分のいいところです。(日なたに出ると日差しがかなりきついですが・・・)

f:id:pristine:20161126223410j:plain一通り街を見て回り、ホテルに戻ると結婚式の撮影が。

さて、今回のこまぎれもタイムオーバーということで、モスクワ・北京と経由して東京に帰ります。預けていた荷物を受け取り、空港に。f:id:pristine:20161126223415j:plain

さて、帰るにあたり一応この地のおみやげを・・・f:id:pristine:20161126223552j:plain今回のお土産は、キャビア!アストラハンはロシアでも有数のキャビアの産地です。青いラベルが最上級の証ということなので、買ってしまいました。ちなみに、この後、モスクワの空港で同じ缶を見かけましたが、アストラハンで買った値段の4倍近い値札がついていました。恐ろしい・・・

【今日の移動距離】0km 【累計】10410km

今回の旅▼

ここまでのコース▼

 

day 19 カザフスタンを通りアストラハンへ

f:id:pristine:20160911091929j:plain夜が明けると、カザフスタンです。この辺りは緑の大地が広がっています。きょうは丸一日列車に乗り、ロシアを目指します。

ウズベキスタン国鉄 334Ф列車の時刻表。f:id:pristine:20160911091939j:plainウズベキスタンの首都・タシケントからロシアのサラトフまでの3279kmを、2日と17時間をかけて走ります。今回乗車するのはヌクスから、ロシアに入って最初の駅アクサライスカヤまで。距離にして1296km。時間にして約29時間の道のり。以前の北京~ハミの約30時間に匹敵する長時間の旅です。

ほどなく、ベイネウ(Beineu)に到着します。f:id:pristine:20160911091943j:plainベイネウはカザフスタンに入って最初の街。カスピ海フェリーの出るアクタウへ行く支線もあり、1970年代にできたこのカスピ海横断鉄道の要衝。多くの旅人が通っているクングラードからの国際列車はここが終点。ただ、街は思ったよりも小さくて、ここで乗り継ぎするのはなかなか辛そう。

今回はそのままロシアまで進む列車に乗っていることもあり、入国審査は列車に乗ったままパスポートを渡すのみで何の質問もなく無事終わり。ちょうどおなかもすいてきたので、食堂車に向かいます。f:id:pristine:20160912071259j:plain食堂車で頼んだのはラグマン。ここのラグマンは汁が入っているラグマン。思いのほか美味しく、キルギスのオシュで食べた以来の“ベスト”ラグマンでした。

f:id:pristine:20160911091952j:plain郊外に出るとステップが広がり・・・

f:id:pristine:20160911092040j:plainひたすらに広がるカザフステップの中を列車はまっすぐ北西に進みます。

しばらくすると、見渡す限りの塩湖が出現。f:id:pristine:20160911092052j:plain空の色を反射した、うす青色の湖を眺めていると、自分がどこにいるのか分からなくなるような不思議な感じがしてきます。聞くと、はるか昔、この辺りは海で、その海底がその年の気候によって水が入って、塩湖が現れたり消えたりするそうです。これが見られたのはとても運がいいことなのかも。

しばらくして、ほぼ定刻に次の停車駅マカト(Makat)に到着。f:id:pristine:20160911092056j:plain立派なモスクが見えます。

ここではおよそ30分の停車。f:id:pristine:20160911092100j:plain長い時間列車の中に乗って退屈している乗客は、思い思いに外の空気を吸いにプラットホームに出てきます。

f:id:pristine:20160911092104j:plainそんな乗客を目当てに、ホームには売店がいくつもあり、水や飲み物、お菓子、食べ物、子供向けおもちゃ、雑誌・新聞などなど、あらゆるものをを売っています。氷で冷やした冷たい飲み物も売っています。

f:id:pristine:20160911092108j:plain日差しがきつい上に日影が全然ないので、外に出た人々も列車の影に入って休みます。

f:id:pristine:20160911092112j:plain再び発車。コンパートメントの中でじっとしていればそこそこ過ごしやすい感じ。同室のおばさんがくれたソーセージを食べたりしながらぼんやりステップの広がる地平を眺めて過ごします。

f:id:pristine:20160911092117j:plain所々、小さい街を通過していきます。どんな場所にも人々の営みがあるのだと改めて感じます。

そんな街中をよーく見てみると、f:id:pristine:20160911092051j:plainなんと街中にラクダを発見!この辺りでは普通にラクダが家畜として飼われているようです。

f:id:pristine:20160911092122j:plain続いてアティラウ(Atyrau)に到着。

f:id:pristine:20160911092127j:plain貨物の輸送が盛んなようで、山ほどの貨車と機関車が。
このアティラウはカスピ海港湾都市で、ウラル川の河口に位置します。ウラル川といえば、アジアとヨーロッパの境。ということは、このアティラウはアジアとヨーロッパにまたがる街ということになります。あまり実感はないけれど、ついにヨーロッパに入ったということですね。

そろそろ夕方なので、またもや食堂車へ。ラグマンかプロフか2つしかないはずのメニューどちらにするか考えながら行くと、食堂車の姉さんが「ピロシキはどう?」とうれしい提案。f:id:pristine:20160912071749j:plainということで、夕飯はピロシキ。実は列車の中で売り歩いているのを食堂車でも売っているということです。なので、この代金はピロシキ売りの兄さんに直接渡します。姉さんにはお茶代だけ50ルーブル

そして夜となり・・・うとうとしながら過ごし・・・出国審査も済ませ・・・

ほぼ定刻のモスクワ時間22:40頃、ロシアの最初の駅、アクサライスカヤ(Aksaraiskaya)に到着。f:id:pristine:20160911092139j:plain目的地アストラハンの北60kmに位置する鉄道の要衝。ここで降りて、アストラハンに車で向かうのですが、まず入国審査を受けてからでないと外に降りられません。しかし中々入国審査が始まりません。駅について30分後、ようやくパスポートが集められ、しばらくして車掌に呼ばれます。入国審査官がいるコンパートメントに連れて行かれ、質問を受けますが、ロシア語は通じない。すると審査官、スマホを取り出し、Google翻訳でロシア語を英語に翻訳。微妙に雑談みたいな審査を15分ほど受け、2時間後、ようやく外へでることができました・・・。

ここまで約29時間同室の二人。f:id:pristine:20160911092136j:plain二人ともウズベキスタン人で、ウズベク語とロシア語しか話せないこともあり、あまり会話できませんでしたが、そのまま終点のサラトフまで行き、それから乗り換えてモスクワに行くそうです。どうやら、断片的な話を総合すると、男性は出稼ぎでモスクワに行くようで、これまではウクライナとかに行っていたけど紛争でもう行けないので残念だと。女性はどうやら親類の家に行くところのようです。優しく親切で、長旅も苦にならずに過ごせました。

さて、こちらは迎えに来てもらった車に乗り、霧の中をアストラハンへ。f:id:pristine:20160911092143j:plainこの駅に足止めされるのは嫌だったので、今回はホテルに迎えをあらかじめ頼んでおきましたが、アクサライスカヤで降りる人は結構いて、それを目当てにアストラハンまでのタクシーも沢山集まっていました。ここからの足はあまり心配する必要はなかったのかもしれません。

【今日の移動距離】カラカルパキヤから920km 【累計】10410km

ついに移動距離が10000キロを突破!
ちなみに記念すべき10000km地点は、カザフスタンのマカトとアティラウの間のようでした。

day 18(2) 334Ф列車、タシケント発サラトフ行き

f:id:pristine:20160827231634j:plainヌクス駅から、ロシア・サラトフ行きの国際列車に乗り、キャビアの名産地、アストラハンを目指します。実はこの旅では初めての列車での国境越え。

f:id:pristine:20160827231626j:plainヌクス駅の駅舎は真新しく、待合室も綺麗。英語、ウズベク語、カラカルパク語の3つの言語で「良い旅を!」と書かれています。駅舎内には飲み物とお菓子の自動販売機があるだけで、売店とかはないので必要なものがあれば駅前のミニマーケットで買い込んでおきましょう。3軒ぐらいあり、カップラーメンや飲み物など一通り売っています。

f:id:pristine:20160827231646j:plainプラットフォームは2つ。隣のホームにはカザフスタンのベイネウからの列車が定刻通り到着していました。ベイネウまでは、100kmほど西に行ったクングラードから国際列車が出ていますが、今はヌクスからも列車が発着しているようです。

f:id:pristine:20160827231651j:plain今日乗る334Ф列車はディーゼルの音を響かせながら、定刻より約30分ほど遅れて到着。始発駅のタシケントから24時間走りヌクスに到着です。

f:id:pristine:20160827231700j:plain西日が差して暑い車内に入ると、自分のベッドのところには先客が。とはいえ、どうやら他の寝台だけど空いてるからこちらに来ていたようで、チケットを示すと、どうぞどうぞごめんね、という感じで出て行きました。

今回の切符。ヌクスからロシアへの国際列車は、週に4本ほどあるのですが、そこそこ人気があるようで当日ではチケットが取れないことが予想されたので、今回は日本でこのチケットだけは手配していきました。f:id:pristine:20160827231656j:plain手配をお願いしたのは、インツーリスト・ジャパン。インツーリストは、昔のソ連国営旅行社で、ソ連時代は外国人を唯一受け入れるオペレーターでした。今でも旧ソ連諸国最大の規模を誇るそうです。
最初問い合わせた時は、手配は可能で、バウチャー(引換証)を駅で実物の切符に引き換えるという話でした。ところが、ヌクスではバウチャーを切符に交換できないということが手配を始めた後に判明し、色々検討していただいた結果、ロシア国内でバウチャーを切符に引き換え、それを日本に送ってもらうという荒技をやってのけてくれました。流石です!感謝。
実際、当日切符売り場では「満席」ということでした。かなり現地での購入はハードルが高そうです。

車掌のパスポート確認や諸々終わり、そろそろ19時。夕食の時間ということで、食堂車に行くことにしました。f:id:pristine:20160827231704j:plainメニューはラグマンとプロフ。今日はプロフにしました。ついでにビールを。ぬるいながらこのクソ暑い中、久しぶりのビールはうまい!
食堂車はそんなには混んでおらず、食料を持ち込んでいるか、駅ごとにいる物売りから買って自分のコンパートメントや寝台で食べる人が多いようでしたが、食堂車は気分転換にもなっていい感じ。ちなみに、支払いはロシアルーブルウズベクスムしか受け付けてもらえず、ドルはダメということでした。プロフとビールで250ルーブル(=約400円)。ペットボトルの水なんかも売ってくれて、50ルーブル(=約80円)。親切だし便利です。

f:id:pristine:20160827231709j:plain車掌さんから受け取ったシーツを引き、枕カバーをつけて、寝ます。乗った当初は暑くてエアコンないんだとがっかりしましたが、どうやら微妙に入っているぽく、コンパートメントの扉を閉めてじっとしていると、ほのかな冷風が入ってきて、ほどほど快適な感じに。

少し寝入ったところで、夜中の1時過ぎ、ウズベキスタン最後の駅、カラカルパキヤに到着。出国審査を受けます。ほどほど効いていたエアコンは切れて、車内はなかなかの暑さに・・・。車輪をハンマーで叩いて打音検査するコン、カン、コン、と言う音を聞きながら、じっと体を動かさず、じわじわ汗をかきながら暑さに耐えます。

パスポートは集められてスタンプ押されて返ってきます。続いて税関。以前タシケントの空港で賄賂をせびられた記憶がありかなり警戒しましたが、荷物の中をちらっと見たのと、申告書の記載を少し質問されただけで特に何もありませんでした。よかった。

【今日の移動距離】カラカルパキヤまでで440km 【累計】9490km

day 18(1) 再びヌクス、サヴィツキー美術館とミズダカン

f:id:pristine:20160824001436j:plainふたたびのヌクス。夏のヌクスは見事なまでの暑さ!気温は38度。日差しが厳しく、日向での体感は45度ぐらいな感じ。日差しを浴びているとクラクラしてきます。

さて、前回は街は歩き回ったものの、大事なところを訪れていませんでした。
それが、イゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館f:id:pristine:20160824001454j:plain内部の撮影は高額のお金がかかるのでしていませんが、ソ連時代迫害を受けたロシア・アヴァンギャルドのコレクションが多く残る貴重な美術館として有名です。

かなり設備的には厳しさを感じる状況ながら、コレクションと展示は驚くほどのレベル。
ルイセンコ「雄牛」など、当時体制への痛烈な批判として解釈された絵画を、辺境とも言えるこの地に集め続けたイゴール・サヴィツキー。これらの絵画を描いた画家たちは拘束され、シベリア強制収容所に送られるなどしていた時代、これだけの規模のコレクションを、一公立美術館のディレクターという立場を活用して集め続けたというのには、本当に驚きを感じます。f:id:pristine:20160824001459j:plain新館も建てていましたが、こちらは展示などはしていないようです。

ヌクスの人と話をすると、みんな言うのは「美術館は見に行ったか?」。人々に本当に誇りにされている美術館なのだと実感します。

f:id:pristine:20160824001506j:plain美術館の周りは、真新しい建物がたくさん。この数年でだいぶ開発が進んでいるようです。ただあまりお店も入っている感じがなく閑散としているのが気にかかるところですが、まあ、暑いからかもしれませんね。とにかく、炎暑という言葉がしっくりするほどの日差し。ただ、一方で湿度が低いからか日陰にいるとあまり厳しさを感じません。

f:id:pristine:20160824001511j:plain少し歩いて中央市場に向かいます。変わっていない雰囲気にちょっと安心。

市場の中で昼食にしようと思ったのですが、あまり良さそうなところがなかったので、5分ほど歩いて見つけたオープンテラスのレストランに。この辺りで一般的な麺、ラグマンはあるかと聞いたところあるというので頼みます。f:id:pristine:20160824001515j:plainこの辺りのラグマンはキルギスウイグルで食べたようなお汁につかっているのではなく、ナポリタンのパスタのようなラグマンです。これはこれで美味しい。

f:id:pristine:20160824001520j:plainお腹もいっぱいになったところで、郊外のトルクメニスタンとの国境のそばにあるホジェリという街にあるミズダカンという遺跡に向かいます。タクシー往復と待ち時間入れて、およそ50000スム=約10ドル。

30分ちょっと走ってミズダカン(Mizdakhan)に到着。

f:id:pristine:20160824001525j:plainミズダカンは、かつて古代ホレズムで2番目に大きかった都市と言われています。その歴史は紀元前4世紀から続き、14世紀に入ってティムール朝により破壊されるまで続きました。その跡地に墓が建てられるようになり、現在に至ります。

f:id:pristine:20160824001529j:plainいくつかの廟を見て回ることができます。一部の廟は内部も復元され、再び美しい姿となっています。内部は半地下の構造になっており、外の酷暑が嘘のように涼しく(むしろひんやりとして)、静寂の空間が広がっています。

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ここから見えるもう一つの丘には、ギャウル・カラと呼ばれる城塞の跡が見えます。f:id:pristine:20160824001542j:plainギャウル・カラとは異教徒の城、という意味で、ゾロアスター教を信じる者=異教徒が作った城ということでのちのイスラム教徒がつけた名前と言われています。

f:id:pristine:20160824001537j:plainここには、アダムの墓と伝えられている遺跡もあります。この石が全て崩れ去った時、世界は終焉すると言い伝えられているそうで、それを防ぎ神に祈りを捧げるために石を積む(=再び建設する)風習があるようです。

1時間ほど見て回り、ふたたび、時折馬車も走るのどかな道をヌクスに帰ります。f:id:pristine:20160824001546j:plain

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ヌクス駅に到着。駅は街の中心部からは車で5-6分走ったちょっと離れたところにあります。f:id:pristine:20160824001558j:plain今日はここからロシア・アストラハンまでカスピ海の北岸を通り列車で向かいます。