day 26 ベルリン、DDR、そして歴史の足跡
ベルリンの朝。きょうもベルリンを散歩します。
使ったのは、mobike。実はこれ、全く同じものを中国で見ていたのです。どうやら中国のシェアバイクがベルリンに進出していた模様。しかも同じアプリでそのまま利用することができました!
休日、まだ朝の人気の少ないベルリンを快調にサイクリング。
ブランデンブルグ門からティアガルテン。ベルリンの壁が崩壊した時の熱狂的な光景は当時、子供心にも強く焼きついていますが、打って変わって静かな朝の風景。
ここから歴史をさかのぼってみます。
まずは、DDR博物館。
東西に分かれていたドイツの東側、いわゆる東ドイツの正式名称は Deutsche Demokratische Republik(ドイツ民主主義共和国)。この略称がDDRでした。当時の東側の生活を集めたのがこの博物館です。
有名なトラバントのカタログ
中にも乗れます
子供の制服のカタログ
再現された保育園。当時の東側というと暗く姿の見えないイメージがありましたが、やはりその中にも人の営みがあって、普通の幸せがあったんだろうなとつい想像してしまいます。
当時のアパートのリビングを再現
その一方で、秘密警察の盗聴・監視部屋の再現なんてのも
続いては、少し前に戻って、占領されたベルリン時代に。
チェックポイント・チャーリー。当時西ベルリンと東ベルリンの間に存在していた検問所です。今は観光名所になってのどかな光景ですが。
さらに時を戻して、、、
この無機質な建物と空き地はなんでしょう。
かつてのナチスの権力維持装置と言える「ゲシュタポ」「SS(親衛隊)」の本部のあったところ。現在は”Topographie des Terrors”(テロのトポグラフィー)として、ナチス時代の記録を展示した資料館として一般公開されています。無機質な建物、何もない空き地は、歴史への論評や評価を排除して中立的に当時の記録を事実として見せていくという一つの表現になっています。
ベルリンには、また、もう一つホロコースト記念碑(Denkmal für die ermordeten Juden Europas:虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑)という場所もあります。
およそワンブロックに敷き詰められた、無言を象徴するかのような無機質な直方体の並ぶ場所です。物言わぬ恐怖に押しつぶされる時代を象徴するような2000以上の石碑。
現在からDDR、そして恐怖の時代へ。わずか100年も経たないうちにそれらを経験した都市、それがベルリンなのだと改めて理解しながら、それらの記憶を忘れ去ろうとする他の都市のありように思いを馳せてしまいました。
【今日の移動距離】0km 【累計】13,990km
day 25 いよいよベルリンに到着、夜はベルリンフィルに!
目がさめると時刻は午前5時半。個室ごとに配られている時刻表を見るとポーランドのPoznanとドイツとの国境の町Zhepinの間のもよう。
窓の外を見ると、低く朝靄がかかる幻想的な光景が広がっていました。
午前5時49分、定刻通りポーランド最後の駅Zhepinに到着。
貨物ヤードには「中欧班列」と書かれたコンテナを満載した列車が停車中。「一帯一路」政策の一環として、現代のシルクロードとして中国とヨーロッパを結ぶ列車を多く走らせている中国。ユーラシア大陸を横断する大きな物流が生まれつつあることを感じる瞬間です。
列車はオーダー川を越えてドイツに入り、Frankfurt (Oder)に到着。同じフランクフルトはフランクフルトでも、国際空港のあるフランクフルトとは別物です。時刻表を見ると、ここからベルリンまで1時間とちょっとのはず・・・が、切符を見ると到着予定時刻はここから2時間後。
どうやら工事か何かかの事情で迂回をする模様。列車はFrankfurt (Oder)からベルリンに直行するのではなく、一旦ドイツとポーランドの国境をコットブスCottbusに向けて南下。
どうやら到着までは時間があるようなので、朝食を食堂車に食べにいきます。
ゆったりとした食堂車で朝食をいただきます。ドイツらしく味はしっかり。
列車はコットブスから向きを北西に変え、ベルリンに向かいます。
通常の列車のベルリン到着時刻をだいぶ越えた午前8時すぎ、第三軌条(集電レール)のある線路が現れ、Sバーン(ドイツの近郊電車)の車両基地が見えてきました。ようやく、ベルリンの郊外にたどり着いた模様。
徐々に街並みが遠くに近くに見えてきます。
午前8時40分すぎ、Treptower Park駅で運転停車。
午前8時53分、ベルリン・リヒテンシュタイン駅に到着しました。リヒテンシュタイン駅はベルリン市街の東側にある駅で、以前は東欧へ行く列車の始発駅であったようですが、今はその役割をベルリン東駅などに譲って若干寂れた雰囲気になっています。通常、このStritz号もベルリン東駅(Berlin-Ost Bahnhof)発着なのですが、今日に限っては迂回運行の事情によるのか、リヒテンシュタイン駅が終着駅となっていました。
ホームの券売機で1日券(Tageskarte = day ticket)を買って乗り込みます。中心部を網羅するzone A/Bの1日券は7ユーロ。約1000円ですが片道切符もABゾーン内で2.8ユーロ(3駅以内は1.7ユーロ)なので、おおよそ3回乗るなら1日券が安いです。そして何より楽。Sバーン(近郊電車)、Uバーン(地下鉄)、バス、トラムなんでも乗れるので…
まずは、旧東ベルリンの繁華街、アレクサンダー広場へ。世界時計とテレビ塔という東ベルリンきっての名所の組み合わせ!かつて映画「グッバイ!レーニン」で見た世界時計。この世界時計は東ドイツ時代のランドマークの一つで、今もアレクサンデー広場のアイコンとして健在です。
テレビ塔に登って、ベルリンという街を眺めてみたいと思います。
ある方向を見るとこんな感じ。
もう一方を見るとこんな感じ。
かつて、ベルリンはみんなご存知の通り、資本主義国である西ドイツの施政下に置かれた西ベルリンと、共産主義国である東ドイツの首都、東ベルリンに別れていました。共産主義の画一的な建物群と、以前からのベルリンの街並みということなのでしょうか。ベルリンという街が持つ色々な表情を感じさせる風景です。
続いてはベルリンの壁を見に行きます。
あるところはアートギャラリーとして。このソ連・ブレジネフ書記長と、東ドイツ・ホーネッカー国家評議会議長の熱いキスの壁画は壁を象徴する壁画として有名です。
また、あるところはかつてのベルリンの壁や監視塔を忠実に保存する史跡として。それぞれ1989年まで続いた分断の歴史を後世に伝える記念碑として残されています。
一通りベルリンの散歩を始めたところで、再びUバーンに乗って市内中心部のGendarmenmarktへ。年末には大規模なクリスマスマーケットが開催されるこの広場に面した宿に今日は泊まります。
荷物を置いて着替えたら、夜はベルリンフィルハーモニーへ。
ベルリンといえば、ベルリンフィルハーモニー(Berliner Pholharmoniker)でしょう!ということで、日本にいるうちに切符を手配しておきました。
予約は簡単で、ベルリンフィルのサイトから予約して支払いを済ませるだけ。あとはエアメールでチケットが日本の住所に送られてきます。
開演前はロビーでみんな思い思いに過ごしています。よく、正装しないととか言われますが、今日の公演ではむしろ皆さん多少はちゃんとした格好はするものの、ジャケットありのスマートカジュアルって感じかな。
今日の公演は、43歳と比較的若手ながら、現在はパリ管弦楽団の音楽監督を務めているDaniel Hardingがベルリンフィルを指揮するプログラム。彼は軽井沢大賀ホールの芸術監督も務めているなど、日本ともゆかりがあるよう。
恥ずかしながら、クラシックの素養があるわけではないが、この場の雰囲気と、飽きさせない緩急ついたプログラムで、最後まで気持ちよく(&寝ないで…これ重要。今まで最後まで起きていたクラシックコンサートはなかった…)聴き入ることができました!
公演が終わると外は真っ暗。公演の間に飲んだシャンパンが程よく回っていい気持ち。
明日も、ベルリンを散歩します。
【今日の移動距離】790km(テレスポリから) 【累計】13,990km
day 24(2) モスクワ〜ベルリン Stritz号、ロシアからベラルーシを越えてポーランドへ
モスクワ発ベルリンゆき、Stritz号はモスクワ・ベラルースカヤ駅を発車します。定刻通り、10:20発。
最新鋭の列車だけあって、これまで乗ってきた列車とは全く違い、近年のロシアでの流行りの近未来感溢れる車内。個室寝台にはこの列車が走り抜けていく都市の名前がつけられています。自分の寝台は「ワルシャワ」。
室内にはシャワーと洗面台、トイレも装備。十分走るホテルと呼べる車内設備が揃っています。アメニティも。ただ、妙に機能的すぎてちょっと旅情はそそられないかも。
列車はロシアの大地を進みます。
約4時間走り、最初の停車駅スモレンスクに到着。壮麗なパステルカラーの駅舎がヨーロッパ・ロシアを感じさせます。
小さな街をいくつか走り抜け・・・
16時ちょっと前に、次の国、ベラルーシの最初の停車駅、オルシャに着きました。ロシアとベラルーシは異なる国ですが、入出国管理を共通にしているので、ロシアとベラルーシの間では出入国審査はありません。ただ、異なる国がゆえにビザはロシアのビザとベラルーシのビザが必要で、注意が必要です。ロシアのビザだけでここまで来れてしまうのですが、ベラルーシのビザがないと違法滞在ということになってしまいます。
果てしなく広がる穀倉地帯を…
時速110キロのペースで快調に走り抜けていきます。
気持ちいい天気。
街が再び密度を増してくる頃、
ミンスク駅は近代的な大きな駅です。
駅前には大きな門構えのようなビルが。スターリン様式を色濃く残すミンスクのシンボル「Minsk Gate」です。ベラルーシはこの街並みに代表されるように、ソ連時代のイメージがだいぶ残る国です。
とはいえ駅の中はやっぱり近代的。
引き続き、ベルリンに向けて列車は発車します。
夕食は再び食堂車。豚足のグリルを頼んでみたらなかなかこれが大きい。
4月ともなるとだいぶ日が長くなってきます。この時期の日の入りは現地時間の午後8時頃。晩御飯の頃にようやく夕日の風情になってきます。
ご飯を食べて一休みした夜9時過ぎ、ベラルーシ最後の街、ブレストに到着します。ロシア・ベラルーシ両方のビザがあるので出国審査は問題なく通過。
小さな国境の川、ブーク川を越えると、いよいよEU加盟国、ポーランドの街、テレスポリです。妙にフレンドリーなベラルーシ側と違い、ちょっとピリリとした雰囲気。
ほどほど厳しい感じの入国審査ながら、パスポート持って個室で待ってればいいだけの入国審査は楽。しかもウズベキスタンからロシアへの列車の時のように国境の駅で空調が切れるとかもなく快適そのもの。おまけに、やはり日本のパスポートは信頼感厚く、特に何事もなくEU入域です。
ついに、名実ともにヨーロッパにやってきました!
時間は1時間早まり、モスクワ時間夜11時、ポーランド時間では夜10時に定刻通りテレスポリを出発、夜のポーランドを走っていきます。
【今日の移動距離】1100km(テレスポリまで) 【累計】13,200km
day 24(1) 再びのモスクワ、ベルリン行き列車に乗る
久しぶりの旅の再開。懐かしいモスクワに到着です。今回はこのモスクワから、ドイツの首都、ベルリンを目指します。
早朝のシェレメチェボ空港に到着。赤いエアロエクスプレスで早速市内へ。
市内まではわずか30分。切符もクレジットカードで簡単に買えるし、昔々の不便だったシェレメチェボ空港とは大違いです。ぼんやり淡い緑を眺めながら電車に乗っていると終点、モスクワ・ベラルーシ駅に到着です。
今回の旅のメイン、ベルリン行きの列車はこのベラルーシ駅から出発するのですが、出発までまだ3時間以上もあるので、市内を散策しましょう。
朝早くということもあって清々しいほどに閑散とした都心部。
モスクワといえば・・・
やはり赤の広場を回れねばならないでしょう。
このお菓子みたいな教会を見ないとモスクワに来たという実感がわきません!
赤の広場周辺の都心部は建物もきれいにリノベーションされてきらびやかな街並みに。
とはいえちょっと離れるとかつての東側の中心地っぽい雰囲気も。
トラムに乗ってベラルーシ駅に戻ります。
休日のモスクワの日常を眺めながら・・・
再びベラルーシ駅に戻って来ました。
3番線に13列車、モスクワからベルリン行きがもう入線していました。
この列車はスペインのタルゴ製の最新鋭客車で、広軌の旧ソ連から標準軌の旧西側諸国を直通できるフリーゲージトレインなのです。
モスクワ・ベラルーシ駅を10:20分発、ベルリン・リヒテンブルグ駅には現地(ドイツ)時間で明日の8:40に到着します。発車まであと間もなく。
この列車の予約は、RZD(ロシア国鉄)で予約できます。RZDのサイトから下にある「Buy Tickets」を選択して行けば一通り予約完了。英語サイトなのに途中で注意書きがロシア語だったり若干の荒っぽさは感じるものの、特に問題はなく発券まで進みました。
このあとは、早速ベルリン行きの列車の旅が始まります。
day 23 ついに23日目にしてモスクワ到着
寝てても目が覚めても、列車はロシアの大地を走り続けます
午前8時45分、定刻通りSpasskoe駅に到着。可愛らしい駅。女性の駅長?が気だるそうに標識を掲げるさまがロシアの田舎っぽくて素敵。
食堂車で朝食。オムレツとコーヒー。多くの人は食べ物を持ち込んでたべているようで、相変わらず閑散としていますが、長旅の気分転換には最高。
ちなみにメニューです。日本円に換算すればメインディッシュで600〜1000円ぐらいですが、まあ駅の売店などに比べれば高いか・・・。
そうこうしているうちに9時18分、パヴェレツ(Pavelets)駅に2分早着。ロシアの鉄道は変わらず定時運行。パヴェレツ駅は、モスクワの9つの鉄道駅の一つパベレツキー駅の名前の元になった地名。1900年に建設された「リャザン-ウラル鉄道会社」とモスクワに伸びる支線の分岐点として開設されたとのこと。
続いてウズノボ(Uzunovo)駅に到着。12分停車して機関車を付け替えます。
機関車の連結作業には子供達が大集合。ここからはモスクワまでノンストップ、あと3時間ちょっとの道程です。
再び食堂車に出向き昼食。持ち込むご飯もいいけれど、食堂車で食べるご飯はなぜか美味しく感じるのです。
徐々にモスクワの郊外に差し掛かり・・・
高層住宅も建ち並び始め、いよいよモスクワのイメージが強まってきます。
見事、定刻通り14時ちょうどにモスクワ・パベレツキー駅に到着!ウラジオストク駅を出発してから通算23日目、ついにモスクワに到着したのです!
シベリア鉄道をロシア号で直行しても7日かかりますが、ウラジオストクから中国を横断し、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタンからアストラハン、ボルゴグラードと中央アジア経由で回ってきたらここまで23日でした。
ようやく、ヨーロッパに足を踏み入れたという実感が湧いてきます。
モスクワ自体はこれまでにも乗り継ぎなどで何回も来ている街で、今晩遅くには東京に戻る飛行機に乗るのですが、そこそこ時間があるので一回り。
早速地下鉄に乗ります。モスクワ名物といってもいい宮殿のような内装と質実剛健の車両。
ちょうど間も無く5月9日が戦勝記念日ということで、記念の塗色の車両も。今日は軍隊関連のところを回ってみたいと思います。
最初に訪れたのはエカテリンスキー公園。広くてほのぼのした公園なのですが、
この公園の隣には赤軍博物館があるのです!昔、中学生の頃にプラモデルで作ったMiG-29を見たかったのですが・・・残念ながらこの日は休館日。周りから見るだけだったのですが、
お!MiG-29が!ちょっと遠目でしかもお世辞にも保存状態が良いとも言えない感じではありましたが、実機らしきものを見れてテンションが上がります。
続いてはバスに乗り、
再び地下鉄に乗り継ぎ「大祖国戦争中央博物館」へ。
大祖国戦争とは、ロシアにおいて第二次世界大戦の独ソ戦を指す言葉で、その勝利を記念して戦勝記念公園内に作られました。
多くの等身大のジオラマで戦いの歴史を説明していきます。このジオラマの中を人が歩くこともでき、1945年のベルリン陥落のジオラマの中を観光客が歩いていく様はややシュールでさえあります。
屋外展示場には、日本の飛行機も戦利品として展示されています。これはキ-28と説明されていました。(あとで調べて見ると、九九式軽爆撃機というものらしい)
外では軍服を来た姉さんが小旗を売っています。共産主義は過去のものなのに、ロシアの旗とともに赤軍旗もやはり売られています。
大きなモニュメントには子供達がよじ登って遊んでいます。平和な光景。
続いては、ルビヤンカにできたという、おもちゃのデパート「ツェーデーエム(子供デパート)」へ。家族のお土産を買いますが・・・
この隣(写真右の建物)はなんとかつての泣く子も黙るKGBの本部。今もFSB(連邦保安庁)として使用されているが、その隣はなんともきらびやかで楽しげな子供の国だった。この子供デパートは冷戦時代からあったそうで、なんとも言えない不思議な感慨を覚えます。
徐々に夜の帳が降りる頃・・・
モスクワはきらびやかな光の街になるのでした。
【今日の移動距離】680km 【累計】12,100km
今回の旅▼
ここまでのコース▼
day 22(2) エリスタからボルゴグラードへ
エリスタのバスターミナルの時刻表。バスターミナルは鉄道駅と同じ場所にあります。鉄道の旅客営業はどうも現在は行われていないようで、他の街への交通はバスが中心のようです。朝9時に来たところ、次のボルゴグラード行きは11時とのこと。
切符。11時発、エリスタからボルゴグラード。8番の座席。635ルーブル(≒1300円)。購入はKACCAと書かれた窓口で、パスポートが必要です。チケットにも名前とパスポート番号が記載され、リストはドライバーにも渡されて乗車時にチェックがあります。
バスと思ったらミニバスでした。ドライバーや車掌は別にして、16人乗りぐらい。このバス、意外と海外では見ることが多くて、昔、東エルサレムからパレスチナ自治区のベツレヘムまで乗ったバスもこれだったような気がします。
どうやら、エリスタ=ボルゴグラードだけでなく、エリスタを超えてスタブロポリまで行くバスとしても運行している模様。
立ち乗りもいる満員ぶり。彼らはエリスタから1時間程度の途中の街(集落?)まで乗って行きましたが、直接ドライバーにお金を払っていたところを見ると、どうやらバスターミナルで売っている切符とは別にローカル輸送的なものもあるのかも。
徐々に人が降りてやっとひと心地。やや起伏のある草原を好調に走り抜けて行きます。
このままならボルゴグラードまで3時間ちょっとで着くかもと思いきや、途中の街に寄り道して行きます。ここはケチェネリ。エリスタから北に100キロちょっと。
次はサドヴォエ。建物にはスプートニクと書かれていますが・・・人工衛星のスプートニクにあやかったのでしょうか?
それぞれの街で10分ぐらい停車するので、降りて体をほぐします。
この街までがカルムイキア共和国。写真はありませんがこの街を発車してしばらくして検問所があり、全員の身分証明書とパスポートが回収されてチェックを受けました。
さらに1つ街に寄り・・・
遠くに工場のようなものが見えて来ました。
いよいよボルゴグラードの市街に。ここからバスターミナルまで飛ばしても30分ぐらいかかる大きな街です。
これまで見なかったような大きなショッピングセンターが。
結局、出発から5時間半かかってモスクワ時間16時30分にボルゴグラードのバスターミナルに到着。
ボルゴグラードの街並み。
このボルゴグラードは、第二次大戦時代はスターリングラードと言い、第二次大戦での最大級の激戦の一つ、スターリングラード攻防戦によって徹底的に破壊されました。凄惨な市街戦により、戦死者数は200万人、開戦時60万人いた市民は、攻防戦終結時点で9800人にまで減っていたと言われています。
スターリングラードはもはや街ではない。日中は、火と煙がもうもうと立ち込め、一寸先も見えない。炎に照らし出された巨大な炉のようだ。それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、犬でさえヴォルガ河に飛び込み、必死に泳いで対岸にたどり着こうとした。動物はこの地獄から逃げ出す。どんなに硬い意志でも、いつまでも我慢していられない。人間だけが耐えるのだ。神よ、なぜわれらを見捨て給うたのか。
駅に到着。この噴水「子供のダンス」は、エマヌイル・エヴゼリヒンというロシア人写真家のスターリングラード攻防戦を報じる写真で有名になりました。今、ここに写っているのは2013年に再建されたものです。
駅の両脇にはスターリングラード包囲戦の時の兵士たちのレリーフが飾ってあります。
ここからは列車。本当は今朝にはボルゴグラードについて、一日ボルゴグラードを巡る予定だったのですが、アストラハンでの遅れが全く取り戻せないままなので、早速、モスクワを目指します。
時間があれば直接見に行きたかったのですが、ママエフ・クルガンの母なる祖国像を車窓から眺めます。思ったより厳しいお顔。
徐々に夕暮れ。
ところどころに現れる街と、草原を眺めながら、夕食。
明日はいよいよモスクワに到着します。
【今日の移動距離】690km 【累計】11,420km
day 22(1) エリスタの街を歩く
この時期の日の出は朝5時。ちょっと早起きしてエリスタの街を散策します。
ホテルの隣の建物には、「FIDE」国際チェス連盟のマークが。ここエリスタはチェスの街として有名なのですが、この建物も何か関係があるのでしょうか。
売店にはカルムイク共和国のシンボル、ハスのマークが書かれています。
この時期はハスの花というより、山桜のような桜がちょうど咲く時期。
歩いて公園に行くと、なにやら東洋的な石像が。その横にはタルチョ(チベット仏教における5色の祈祷旗、風にたなびくたびに読経したことになるという)が結び付けられています。
こちらは、日本人の彫刻とのこと。調べてみると、山中環さんという日本人の彫刻家の方がエリスタで行われた1997年・98年に開催された国際彫刻シンポジウムに参加して現地で製作した石彫とのこと。
カルムイク共和国はテロとは無縁のような平和な空気が流れていますが、ちょっと南に行けば2度のチェチェン紛争を経験したチェチェン共和国や、ダゲスタン共和国などと地理的に近い所にあるためか、テロへの警戒を呼びかける看板が見られます。これは見知らぬ荷物への警戒を訴え、見つけたら100m離れること、触らないこと、112番に緊急通報すること、カルムイキアはテロに負けない、と書かれています。仏教的なデザインの枠と、中身の生々しさが妙なコントラストです。かつて訪れたラサに通じるものを少し感じます。
バス停もそれらしいデザイン。
歩きながら、バスターミナルを目指します。
動物病院。というか直訳すれば動物向けの薬屋さん、か。
あるロータリーのところにはストゥーパが。日本語で言えば卒塔婆。ここにもタルチョがはためいています。
スーパーの看板。心なしか東洋人的な顔。
エリスタの団地の佇まい。私、東京都内の団地育ちなもので、何かとてつもなくノスタルジーを感じる風景です。自分が生まれ育った団地もこんな5階建てぐらいの団地が整然と並ぶ街でした。40年前ぐらいは、世界的にこういう時代だったんでしょうね。
さすが仏教国だけあって、壁の落書きも仏像ですが・・・
一方でロシアらしいマッチョな感じもあったりして、仏教文化とロシア(あるいはソ連)文化がびみょーに混ざり合っているような印象を受けます。
街は郊外にも伸びています。
こちらは、前大統領が私財を投げ打って建造したという、国際仏教センター「Golden Abode of Buddha Shakyamuni」。広大な敷地に広がる大きな寺院で、ヨーロッパ最大の仏教寺院と言われます。
ちょうど訪れた4月30日は10時からセレモニーがあるとのこと。
撮影禁止だったので中の写真はありませんが、寺院の中に入ると、中央にオレンジ色の法衣を纏った僧侶たちが、大きな仏像の前で読経をしていました。
日本から遠く離れたこの地で、僧侶たちの勤行に参加できたというのは何か不思議な感慨を受けます。
参加している人々は、半分は仏教を信仰するカルムイク族の人々、残りの半分は観光をしているロシア人という感じでした。ただ、観光をしているロシア人たちもマナーはよく、手こそ合わさないものの、門を出るときに十字を切るなど、彼らなりの誠意を見せている感じを受けました。
ここにもタルチョが。
広い敷地に仏像とマニ車が配置されています。
そろそろバスが出発する11時が近づいてきました。バスターミナルに向かいます。
午後は、ボルゴグラードに向け出発です。