day 3 ハルビン散策
今日は、ハルビンを散策します。
ハルビンは、ロシアが建設した東清鉄道の要衝として発達した街です。かつての千円札の伊藤博文が暗殺されたのもこの地でした。
当時のロシア帝国は、この地を満州の要として、市街のほとんどを「東清鉄道付属地」として租界のように扱い、多額の投資を行ってヨーロッパ風の町並みを作り上げてきました。
宿泊した「ホリデイイン・ハルビン・シティーセンター(哈爾浜万達假日酒店)」の目の前には、中央大街という通りがあります。この通りはまさにその頃のメインストリート。
今も壮麗な建物が保存された美しい町並みが広がっています。この街並みの保存と活用は中国国内でも有名で、全国各地の都市から視察に来る模範的な取り組みになっているそうです。確かに、どの建物も景観もきちんと保存されていて状態も良いです。
今日はここから散策を始めたいと思います。
意外にも、ハルビンはビールの街です。街中にはビアホールが多数、国際ビールフェスティバルというのも開かれるそうです。ビール好きとしては気になります。
しばらく歩いていたら、麻薬撲滅キャンペーンの人々に出会いました。公安(警察)の楽隊も来ていて華やかです。省内各地でのキャンペーンの成果も展示されていましたが、麻薬問題は現代中国でも深刻なようです。
朝から屋台も出ていてにぎやか。
突き当たりは川に面した公園になっています。子供の写真を撮っている親子を発見。微笑ましい光景ですが、よく見ると子供がちんちんを出しっぱなしです。おおらかというかなんというか。中国では、よくお尻のところが開けられるようになっている服を着た子供を見かけます。そのまま垂れ流せるようにだそうなのですが、1歳頃からトイレトレーニングの為にはかせる習慣があるそうです。子育てって世界中色々なんですね。
次はなにやら企業の合併記念式典のようなものに出会いました。
こちらは武装警察の楽隊が盛り上げていました。警察がこういう式典で演奏するなんて、それも中国らしさということなのかな、と。
ハルビンの一番のランドマークはこの「聖ソフィア大聖堂」。
結婚記念写真を撮る人々が多くいました。中国では、結婚にあたって撮影チームを組んでアルバムを作るそうです。レフも照明もメイクもいてなかなか本格的で、一大産業になっているのだと聞きます。以前北海道でも一生懸命撮影をしているクルーを見かけました。
鳩とたわむれるこどもたち。こちらの子供は坊主頭率が高いです。
さらに歩くと、昨晩到着したハルビン駅にやってきました。ハルビン駅です。駅にはどこにもスローガンが掲げられていますが・・・
「创先争优」=先を争い優秀な品質を提供しよう
「建设和谐○○」=調和のとれた○○を作り上げよう
「为人民服务」=人民のためのサービス
この3つのキーワードで大体のスローガンは作れちゃいます。
第4日目は、ハルビンから中国の首都、北京を目指します。
【この日の移動距離】なし 【累計】750km
【メモ】 ウスリースク発の国際バス時刻(2012年6月現在)
ロシア(ウスリースク)から中国へ国境を越える国際バス時刻です。
系統/行き先/出発時間/曜日/運賃(ルーブル)
805 牡丹江 8:30(始発) 10:40(ウラジオストク発が経由) 毎日 1750RUB
807 綏芬河 7:40 12:10 毎日 1650RUB
808 東寧 9:50 16:30 毎日 1300RUB
810 延吉 7:30 日曜運休 1750RUB
812 ハルビン(綏芬河経由) 8:20 日曜運休 2200RUB
813 ハルビン(東寧経由) 8:50 日曜運休 2200RUB
814 鶏西 7:30 日曜運休 1380RUB
切符は当日の発売になります。
バスターミナル内の切符売り場で購入します。
切符を買うときにはパスポートが必要です。
年末年始や祝日は運休したりすることがあるようです。
※東寧の国境は日本人は通過できないという情報もあります。ご注意を。
私の乏しいロシア語知識で書き出したので、不足等々あるかもしれませんし、変更もあるかもしれません。あくまで参考ということで!必ず現地で確認してくださいね。
綏芬河へはポグラニチニからも多数バスが出ているようです。
day 2 東清鉄道ルートで国境越え
ウスリースクの夜明け
今日は、ロシアを離れ、中国へ向かいます。ウスリースクから国境を越えて牡丹江、そしてハルビンまで。長い移動の始まりです。
牡丹江行きの国際バスに乗るため、ウスリースクのバスターミナルに向かう。
8時半発。切符は当日朝窓口で購入。窓口はロシア人のおばさんでとても無愛想。困っていると、中国人のバスの運転手(らしき人)が手伝ってくれなんとか購入。
1746ルーブル+発券手数料4ルーブルで計1750ルーブル。日本円にして約5000円、そこそこなお値段。
バスは中国製。なかなか快適。ほぼ定刻通り8時40分にバスは出発。バスの乗車率は2割ぐらいでガラガラでした。決して良好とは言えない路面ですが、信号も無い一本道をバスは快調に進みます。
そうこうしていると何やら不思議なエリアに。真っすぐに上を向いたパラボラアンテナが密集しているのです。草原の真ん中に次々20個以上も現れるパラボラ。こ、これはロシアだけに宇宙人の集落か!?
(後に調べたところ、ウスリースク天体物理研究所だったようです)
やがて2時間ほど走り、国境のロシア側、ポグラニチニに着きます。このバスターミナルで20分ほど休憩。なにやらマーケットが開いていました。このローカル感がたまりません。どうやら一種の免税店のようなものなのか、中国から運んできたものを売っているのか、多くのロシア人でにぎわっています。(聞いてみてもロシア語しか通じないのでわからない!)
再びバスは出発し、国境へ。さよならロシア!また会う日まで!!
いよいよ国境越えです。国境ではバスを一旦降りて出国審査・税関(何もしない)を通り、通った先で待っているバスに再び乗ります。
バス全体に消毒液のシャワーを浴びて、中国側のイミグレーションに到着です。古ぼけたロシアのイミグレと対照的な新しい建物。中国はノービザですが、ここからの日本人の入国にはあまり慣れていないらしく、パスポートを持って係員が奥に引っ込んでしまいました。他の人たちはどんどん進むのに・・・。
そうしているうちに隣のブースの入国審査官がたどたどしい英語で「中国と日本の歴史をどう考えているのか」と聞いてきます。うーん、そんな遠大な話の振り方があるのか?「過去には不幸な歴史があったが大事なのは今の友好だと思う」と答えますが、あまり伝わっている感じがしない・・・。聞き取れないなら聞くなよ!(こっちも大してしゃべれないけど)
とはいえ、そんなこんなしているうちに無事スタンプが押され、イミグレを通過します。
イミグレーションの外には、タクシーやバスの客引きがいて、「バスはもういない」とか言いますが、惑わされずに元のバスがちゃんと待ってますので戻ります。
少し走れば、もう中国側の街、綏芬河です。
なんということでしょう!超ドローカルだったロシア側とは大違いの都会っぷり。真新しい高層マンション群と公園がいきなり現れました。何やら今の国の勢いを見せつけられるような変化でした。
道路も高速道路になりスピードを上げて牡丹江を目指します。
7時間かかり、北京時間12時30分に無事牡丹江に到着。
バスターミナルでも何でも無い路上が終点だったのはびっくり。(バスターミナルが工事中だそうでした)
牡丹江は戦前は日本人も多く住む町でした。なかにし礼さんの自伝的小説「赤い月」の舞台ともなりました。今は典型的な中国の都市の姿で当時の面影を感じるものはまったくありません。
牡丹江からは列車でハルビンへ向かいます。ハルビンへは一日何本も列車があるのですが、結局切符が買えたのは・・・。17時30分発の普快の硬座。中国の列車についてはこの「不快」な経験から色々調べたので改めてページを割いてご紹介したいと思います。
何もすることも無く、観光する所も無いので、駅近くの店で牛肉面を。
「美国加州牛肉面大王」=「アメリカカリフォルニア牛肉麺キング」という華々しい名前のチェーン店でした。肉と言えばアメリカじゃ!という感じなのでしょうか。
思えば、この後中国の旅で度々お世話になる「牛肉面」との初めての出会いでした。醤油味のスープに牛肉が入っているだけの麺なのですが、いわゆる日本における「ラーメン」とか「そば」みたいな地位を築いていて、どこの街でも牛肉面の店を見かけるほど。だいたい1杯日本円で80〜150円ぐらい。
さて、定刻17時30分になり出発です。二階建ての硬座車両。せめてもの救いは満員ではないことでしたが・・・、それはそれでより条件のよい環境を求めて熾烈な陣地争いが起きるのでした。
座席指定の意味などないような中で結果的に窓側の二人席の占領に成功。
列車は夕暮れの満州の大地をハルビンに向けて走ります。
列車は横道河子に到着。かつてソ連を追われた白系ロシア人が多く住んでいた街です。ちょっと風情のある家が並んでいます。
中国らしくないと思っていたら、歴史的町並みということで保存が決まっているそうです。「赤い月」で波子が想いを寄せた氷室の家があった街です。(だったと思う)
やがて、夜の帳が降り・・・。
深夜23時30分、ほぼ定刻で深夜のハルビン駅に到着しました。
比較的空いていて二人席が確保できたからいいようなものの、6時間リクライニングも無い硬い座席に乗り続けるのはさすがにきつい・・・。
中国の列車のシステムを調べてより条件の良い切符を買えるようにしなければ…。
明日は、ハルビン市内を散策します。
【この日の移動距離】630km 【累計】750km
day 1 (2) シベリア鉄道 各駅停車
さて、いよいよ旅の始まりです!
まずはウラジオストクから北へ120km、ウスリースクまで向かいます。
やっぱりロシアの極東と言えば、シベリア鉄道。
ウラジオストク駅はシベリア鉄道の東の終点です。威厳ある駅舎。多くの旅人がここからモスクワまでの一週間もかかる長い旅に出たことでしょう・・・
しかし!そんなシベリア鉄道にも、近郊電車が走っているのです。言ってみれば東海道線みたいなやつ。
その名も「エレクトリーチカ」!要は電車、ってことですね。
うーん、何とも無骨ないい感じ。
切符はウラジオストク駅の窓口で買えます。駅名を言えばそこまでの距離の切符を売ってくれます。ただのレシートみたいだけど、これが切符です。
120キロのって95ルーブル。約200円。
椅子は木製。電車はうなりを上げて加速して行きます。
ちなみにウスリースクまで行く電車は1日3本。
他にも各地に行く&区間運転も含めると1日10本以上あるようです。
細かい駅にたくさん停まりながら3時間かけてウスリースクを目指します。
駅は名前のない駅もあったりして、それは9156Km駅、みたいにモスクワからの距離でだけ表示されていたりするのです。でも、そんな無人駅にも一つ一つ丁寧に停まっていく電車。これもシベリア鉄道なのですね。
定刻から30分遅れてウスリースク着。
頭にハトをのせたレーニン像が迎えてくれました。
ウスリースクは典型的なソ連時代に開発された都市で、広大な土地にゆったりと集合住宅が配置されていて、とてもとても歩いてまわれるような感じではないけど、淡い緑に囲まれてなんとも住みやすそうな美しい街。でもかつてはマフィアが跋扈し、とても治安の悪い街であったらしい。逮捕したマフィアたち本人を出演させて地元当局がマフィア撲滅のドラマを作って放映したこともあるらしいのですが、今はなんとも平和でのんびりした街でした。
駅前には機関車工場。シベリア鉄道の輸送の要となる重要な工場らしい。
町の中心部(といっても閑散としていて本当に中心部なのかわからないのだけど)まではタクシーで向かいます。100ルーブル。
今日の宿、ホテルウスリースクに約10分で到着。
簡素ながら快適な宿でした。ただ、フロントはまったく英語通じません。
一休みして、明日のバスを確認しにバスターミナルへ。ホテルにあった地図を確認したところなんとか歩いて行けそうだったので、散歩がてら歩いて。約2kmぐらい?ショッピングセンターのとなりにそれはありました。
次の目的地、牡丹江までは一日2本の国際バス。1本はウスリースク始発(8時半発)、1本はウラジオストク発でウスリースクを経由して牡丹江へ(10時40分発)。他にも綏芬河止まりが2本など、そこそこの本数がある感じ。
不思議な雰囲気のホテルの横のレストランで夕食。
思いのほかおいしかった・・・ っていうか、他にレストラン見つけられなかったんだけどね。
明日は、ロシアから陸路国境を越え、バスで中国は牡丹江、そしてハルビンへと、かつての東清鉄道のルートを進みます。
【この日の移動距離】120km 【累計】120km
day 1 (1) ウラジオストク
ウラジオストク。天気はあいにくの小雨。
でもこれが何ともロシアの極東、って感じがして渋い。
ウラジオストクは坂の多い町です。街並みはヨーロッパ。最も東のヨーロッパ。
昔、旅をした東欧の雰囲気にそっくり。
わずか2時間半でこんなところに来れるのだと思うと、何だかとてもとても不思議な感じ。
ロシア太平洋艦隊の拠点だけあって、潜水艦博物館も。
冬は寒いからか市場は屋内に。キティっぽい風船。
この小路は花屋さんが集まっているらしい。この他にも業種ごとに細長い建物が。
ウラジオストク駅前にはレーニン像が健在。
一通り市内を見て回ってさて、午後は最初の目的地、ウスリースクへ向かいます。
☆きょうの一枚☆
ふと入ったソ連のポスター展で見かけたポスター。
哺乳瓶が宇宙に飛んでくよ!かわいい・・・
結構ロシアっていいセンスしてると思うなー
何のポスターなんだろう?
day 0 旅の始まりは
記念すべき旅の始まりはユーラシア大陸東端の都市ということでウラジオストクに決定!ウラジオストクはロシア語で“Владивосто́к”。восто́к(ヴォストーク)は「東方」を意味し、владиは「支配する、制御する」。ロシアの東方への窓口となるべくして作られた都市。
そんなウラジオストクまでは成田からシベリア航空の直行便。
www.s7.ru から直接購入。英語サイトがあるので予約は簡単。
ただしE-ticketの控えはロシア語・・・。だいたい読めるので大丈夫だけど。
シベリア航空のカラーリングはとってもポップ。
ウラジオストクまではわずか2時間半・・・。沖縄に行くより近い。
あっというまにロシアの大地が・・・
空港に到着後、いかにもロシアな感じのイミグレーションがあり、ビザのチェックをされるがどうせロシア語も通じないしと思われたのか何の質問もなしでスタンプを押され無事通過。
空港からはまだエアロエクスプレス(鉄道)が開通していなかったので、バスに乗って行こうとしたがバスの乗り場が全くわからず。閑散とした地方空港然した空港からさっさと立ち去りたくてタクシーをさがす。行き先を告げて、金額提示、1500ルーブル(約3500円)。なにぶん50km離れているらしいから仕方がないか。
そして約1時間、日が暮れる頃にはウラジオストクに到着。
明日、このウラジオストクから旅をスタートします。
思い立ったわけ
昔から、ずっと陸路をたどって世界一周をするのを夢見てきました。
社会に出て10年ぐらいたったら会社を辞めるつもりだったので、そのときにと思っていたのですが、そんな景気の良い世間でもなく。
仕事を続けながら世界一周を始めてしまえ!と、わずかな休みをこまぎれにつなぎながら世界一周を始めることにしたのです。
理解ある家族と応援してくれる友人に囲まれて、はたしてどこまで行けるやら、何年かかるやら。
そんなこんななので、すこーしずつしか進みませんが・・・