Chopped Around the World 〜こまぎれ世界一周

世界一周はしたいけど、仕事は辞められない。 わずかな休みをこまぎれにつなぎながら、少しずつ陸路で世界一周を目指します。

day 5 北京からT69次列車

f:id:pristine:20160606232141j:plain第5日目は、北京から一路新疆ウイグル自治区を目指します。

北京は、以前同級生が駐在していたこともあって何度も遊びにきて大体街は知っているので、さっさと先を急ぎます。
5日目の旅の出発は、北京西駅。地下鉄が通じていない(正確に言うと「中心部から通じていない」)ので、ホテルでタクシーを呼んで行きました。f:id:pristine:20160606232250j:plainとても巨大な駅です。
北京にはいくつもの駅がありますが、その中でも新しい「北京西駅」。香港行きの列車も発着する、北京の二大ターミナルの一つです。

ここから、T69次特快に乗ります。f:id:pristine:20160606232421j:plain

T69次特快は、北京西と新疆ウイグル自治区の区都、ウルムチまでの3105キロメートルを約34時間で結ぶ超長距離列車です。特に夏は中国国内の観光客も多く、中々切符がとれない人気列車なのですが(ちなみに現地の旅行代理店に頼もうと思ったら「とれない可能性の方が高い」と手配を断られました。)、ネット予約で、何とか、この人気列車の軟臥を手に入れることができました。ネット予約万歳。

北京西駅を定刻に発車した列車は、緑の大地を快調に走り抜けて行きます。

食堂車でお弁当を食べたりしながら・・・f:id:pristine:20160606232750j:plain

4時間後、太源に着きました。f:id:pristine:20160606232910j:plain
太源は、中国の古都の一つ。かつての晋の王朝が都を置きました。
ここから銀川までの区間は新線が開通、それまではウルムチまで40時間かかっていたとのこと。

新線区間に入ると、徐々に車窓の風景は山がちに・・・f:id:pristine:20160606233213j:plain

と、そんな山肌をくりぬいた家を発見!f:id:pristine:20160606233325j:plain家が建っているのではなく、崖をくりぬいて入口に門構えをつけた家々が現れました。
 
T69次列車は引き続き快調にウルムチを目指します。
ほどなく夜に・・・。

朝の10時から列車に乗ってずっと一日中乗っているなんてどんなに辛いかと思っていましたが、寝て風景見てまた寝て食べて、少し同室の人と話して、食堂車行って、なんてしているうちにあっという間に夜です。意外と大丈夫なものですね。

食事に困るのではと、大量の菓子を買い込んできたが、特にこの列車は食堂車の人が親切で、ご飯に困ることも無く、大体一人ならこんなもんよ、とメニューを決めてくれたりしてありがたい。
晩ごはんは魚の煮付け。美しくはないがかなりうまい。

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さて、夜も更けてきました。おやすみなさい。f:id:pristine:20160606233438j:plain

明日は、新疆ウイグル自治区の哈密(ハミ)で列車を降ります。

【この日の移動距離】夜行列車なので、明日まとめて。

day 4 (2) 長春から北京

f:id:pristine:20160117002750j:plainさて、長春の街に出ます。皇宮のちょい先は中国らしい混沌が待っていました。

ずいぶんと大衆的っぽい演芸。
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満州国時代の街並みが残っていると聞いていたのですが、すでに再開発の波にのまれつつありました。
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しばらく歩くと、長春の中心部へ。
すると、何やら立派な建物が見えてきます。

f:id:pristine:20160606000840j:plainかつての「関東局」「憲兵隊司令部」庁舎でした。現在は「吉林省人民政府」になっています。

そこからさらに大きな道を越えると、何と今度はお城が見えてきました!

f:id:pristine:20160606000911j:plain当時の満州国に駐留した日本の軍隊、「関東軍司令部」です。
駐満日本大使館を兼ねていました。
さすがに満州の大地でお城を見ることになるとは!
この日本式の城をこの地に軍隊の司令部として建てたあたりに、当時の日本の満州に対する見方をかいま見るような気がするのです。
現在は「吉林省共産党委員会」として使われています。
この、時代の象徴とも言える建物を壊さずに使っているあたりが、何とも不思議と言えば不思議なのですが・・・。彼らからすれば「国辱」であるはずの象徴を残すのは、「臥薪嘗胆」みたいなものなのでしょうか?

他にも数多くの満州国時代の遺構が残っています。

f:id:pristine:20160606001014j:plainこれは当時の「首都警察庁」、現在も「長春市公安局」として使用されています。主人は変われど、用途は変わらず、というところでしょうか。

さて、そろそろ長春駅に戻り、北京に向かうことにします。
再び和諧号に乗って瀋陽北駅へ。窓の外には緑の大陸が広がります。 f:id:pristine:20160606001323j:plain

瀋陽北駅で、北京行きに乗り換えます。
駅はきれいですが、待つ人々の姿は変わりません。

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再び、和諧号D8番列車に乗り、北京へ。

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約4時間、ほぼ定刻の23時半に北京駅に到着しました。

駅前はタクシーを待つ長蛇の列。

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中国では、深夜のタクシーは大変です。メーターで走ってくれないことも多いですし、何より元々安いせいか、みんなタクシーに乗ろうとしますので完全な売り手市場です。空港からならまだしも、駅からタクシーに乗ろうとは考えない方が無難です。列車から降りた大量の人がタクシー乗り場にそのまま列をなすので・・・。

幸いホテルは歩いてすぐの所に取ってありましたので、徒歩で宿に向かいます。
明日は、いよいよ新疆ウイグル自治区へ向かいます。

【この日の移動距離】1250km 【累計】2000km

【メモ】中国の鉄道ネット予約

何かと混雑する中国の鉄道。駅で中々切符が買えない!の対策として考えたのが、当然ながら「事前に予約する」でした。

しかし、日本から中国の鉄道を予約するには多額の手数料と、思うようにならない旅行代理店とのコミュニケーションが必要です。
 
しかし!経済発展著しい中国のこと。ついに全国の鉄道の切符をネットで予約・購入することが出来るようになっていました。
中国鉄路客戸服務中心」(中国鉄道顧客サービスセンター)で、何と、中国全国のほとんどの列車の切符を19日前から予約・購入できるのです。(春節などは別途購入できる期間が定められます) しかも、駅への割当とは別の座席が確保されていることが多く、どうも予約しやすいように思います。f:id:pristine:20160606000247p:plain
ただし、このサイトには決定的な問題が・・・。中国の携帯電話と、銀行口座あるいは中国国内で発行されたクレジットカードが必要なのです。
そこで、まずは中国の携帯電話と銀行口座を手に入れる所から全ては始まります。
 
1)携帯電話
中国では、何をするにも携帯電話が必須です。例えばネットで何かを購入するにも、登録するだけでも、携帯電話の番号は絶対に必要です。多くのサイトで本人認証のために、携帯電話にパスワードをSMSで送る仕組みになっています。そのため、何はともあれ最初に電話が必要なのです。
私の場合、ドコモのスマートフォンを持っていたので、まずこれをドコモショップSIMロック解除してもらいます。その上で、中国移動(あるいは中国聯通など)のSIMカードを手に入れることにしました。
ちなみに、中国在住以外の方でしたら、契約するSIMカードは中国移動(しかも上海移動)がおすすめです。なぜなら、プリペイドSIMカードでも上海移動なら口座に一定の金額さえあれば国際ローミングができるからです。つまり、日本にいても、中国の携帯へのSMSを受け取ることが出来るのです。しかも、コールセンターは日本語が通じるので、確実です。
SIMカードを手に入れるには、いくつもの手段がありその辺でも買えるのですが、国際ローミングをするには、中国移動のカウンターに行って、「実名登録」をする必要があります。パスポートと、SIMカードを持って(なければその場で契約すればいいのですが)、実名登録と国際漫遊(ローミング)をしたいと申し出れば大丈夫です。大きな都市の大きな営業所なら、誰かしら片言でも英語の出来る人がいたりします。
 
2)銀行口座
次に、銀行口座を作ります。
旅行者でも銀行口座はパスポートと携帯電話さえあれば作れます。
しかし、小さな支店では英語も通じないので、中国語のしゃべれない人は大手銀行の大きな都市の最も大きな支店に行きましょう。例えば、中国銀行中国工商銀行などです。上海なら上海浦東発展銀行とかでも大丈夫だと思います。
このとき大事なことは、ネットバンキングの登録をすることです。これをすれば、日本からでも口座の管理や、口座を使ったお金の支払いが出来るようになります。

この二つがそろったら、鉄路客戸服務中心で切符の予約と購入が出来るようになります。
まずはサイトのトップページ左側にある「網上購票用戸注册」から、ユーザー登録をします。このとき携帯電話番号が必要になります。
ユーザー登録が終わったら、次は「購票/預約」から、実際に切符を購入します。
予約ができたら、支払いを行います。ここで、先のネットバンキングが必要になります。支払いが終わると、予約番号が表示されますので、この予約番号をプリントした紙を持って、パスポートと一緒に駅の窓口で紙の切符に引き換えればOKです。

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大きな駅なら、「互聯網取票」というネット予約の切符引き換え優先の窓口がありますので、ここで受け取りましょう。(中国の駅の窓口は大混雑なのと、発車間際には引き換え終了になるときがありますので、発車の2時間前ぐらいまでには引き換えておきたいところです。ちなみに、違う駅から発車する切符も引き換えられますので、何枚もある時は一気に引き換えておいた方が楽です)
 
ここに書いた他にも、このネット予約は中々奥が深く、中国の鉄道予約システムの混沌とした姿をかいま見ることが出来るのですが、とりあえず、今日はこんな所で。
 
 

day 4 (1) ハルビンから長春へ

f:id:pristine:20160605233202j:plain今日は、ハルビンから長春に立寄り、中国の首都、北京へ向かいます。

f:id:pristine:20160605001014j:plain泊まった「龍門貴賓楼酒店」。かつてのハルビンヤマトホテル。1903年に東清鉄道ホテルとしてロシア資本で開業、その後「満鉄」=南満州鉄道の経営になり、戦後は学校になったりしながら、改装され今はホテルとして営業しています。
とても重厚な建物で歴史の重みを感じるホテルです。

さて、ホテルはハルビン駅のすぐ前だったので、あっという間に駅に到着。f:id:pristine:20160605234201j:plain相変わらずの人の多さです。中国の鉄道は、発車の直前にならないと改札を始めません。日本のように自由にホームに入れる訳ではないのです。なので、みんな待合室で改札が始まるのを待ちます。

そして、ここから北京までは中国版新幹線「和諧号」。f:id:pristine:20160605234441j:plainまだ1000キロも進んでいないのに、椅子が木製のシベリア鉄道の各駅停車から、最新鋭の高速鉄道まで一気に進化する鉄道にやや戸惑います。さらに今回から、切符はインターネットで予約することが出来るようになりました!(パチパチパチ)

f:id:pristine:20160605234314j:plainかつての南満州鉄道。緑の大地を和諧号CRH5型電車はほどほどなスピードで飛ばして行きます。

この区間はまだ在来線で、そんなに速度は出ません。2時間ほどで長春駅に到着です。(この後年末に高速鉄道新線が開業して所要時間が大幅に減りました)f:id:pristine:20160605234753j:plain

長春は、かつて満州国の首都「新京」だった街です。
「新京」であった時期はわずか12年でしたが、その間に莫大な投資が行われ、当時の最先端の計画都市を建設したのです。今でも当時の建物が多く残り、中国の他の都市とは少し違う独特の雰囲気を醸し出しているのです。
この長春を少し散策してみましょう。

f:id:pristine:20160605234700j:plain駅を降りると、ちょうど大学の入学シーズンにあたるのか、多くの大学が地方から来る新入生を迎えに出ていました。

出来たばかりのライトレールに乗り、まずは満州国皇帝だった愛新覚羅溥儀(“ラストエンペラー”ですね)の皇宮を見に行きます。長春駅の北側から乗車します。f:id:pristine:20160605234902j:plain

3つめ、「偽皇宮駅」で下車。開発中の荒涼とした道を歩きます。

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だいぶ歩いて、かつて溥儀の暮らした皇宮を保存した博物館、「偽満皇宮博物院」にようやく到着です。

f:id:pristine:20160605235359j:plain意外にも保存状態は大変よく・・・

内部の調度品の保存や、展示、説明もとてもしっかりしたものでした。
中国において溥儀の存在と、その教化は旧時代から新時代へのまさに「社会主義革命」の象徴のような面があります。溥儀は社会主義中国で「再教育」を受け、一人民としてその生涯を過ごすことになります。この博物館でも、溥儀の生い立ちから、皇帝としての生活、再教育とその後の生涯に関する展示が行われていました。

f:id:pristine:20160605235438j:plainイデオロギーがどうであるかは別として、激動の時代を生き抜いた最後の皇帝の生涯を実感として感じられる素晴らしい博物館でした。
中国の日本統治時代を語る博物館にしては、比較的抑制的というか、客観的な説明が多く(あくまで比較的、ですが)、純粋に歴史を知るという意味で価値のある訪問先だと思います。

では、再び街に出て、
引き続き、長春市内の昔の面影を探してみましょう。

day 3 ハルビン散策

f:id:pristine:20160604235509j:plain今日は、ハルビンを散策します。

ハルビンは、ロシアが建設した東清鉄道の要衝として発達した街です。かつての千円札の伊藤博文が暗殺されたのもこの地でした。
当時のロシア帝国は、この地を満州の要として、市街のほとんどを「東清鉄道付属地」として租界のように扱い、多額の投資を行ってヨーロッパ風の町並みを作り上げてきました。

宿泊した「ホリデイイン・ハルビン・シティーセンター(哈爾浜万達假日酒店)」の目の前には、中央大街という通りがあります。この通りはまさにその頃のメインストリート。

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今も壮麗な建物が保存された美しい町並みが広がっています。この街並みの保存と活用は中国国内でも有名で、全国各地の都市から視察に来る模範的な取り組みになっているそうです。確かに、どの建物も景観もきちんと保存されていて状態も良いです。

今日はここから散策を始めたいと思います。

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意外にも、ハルビンはビールの街です。街中にはビアホールが多数、国際ビールフェスティバルというのも開かれるそうです。ビール好きとしては気になります。

しばらく歩いていたら、麻薬撲滅キャンペーンの人々に出会いました。公安(警察)の楽隊も来ていて華やかです。省内各地でのキャンペーンの成果も展示されていましたが、麻薬問題は現代中国でも深刻なようです。

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朝から屋台も出ていてにぎやか。

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突き当たりは川に面した公園になっています。子供の写真を撮っている親子を発見。微笑ましい光景ですが、よく見ると子供がちんちんを出しっぱなしです。おおらかというかなんというか。中国では、よくお尻のところが開けられるようになっている服を着た子供を見かけます。そのまま垂れ流せるようにだそうなのですが、1歳頃からトイレトレーニングの為にはかせる習慣があるそうです。子育てって世界中色々なんですね。

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次はなにやら企業の合併記念式典のようなものに出会いました。

f:id:pristine:20160605000611j:plainこちらは武装警察の楽隊が盛り上げていました。警察がこういう式典で演奏するなんて、それも中国らしさということなのかな、と。

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ハルビンの一番のランドマークはこの「聖ソフィア大聖堂」。

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結婚記念写真を撮る人々が多くいました。中国では、結婚にあたって撮影チームを組んでアルバムを作るそうです。レフも照明もメイクもいてなかなか本格的で、一大産業になっているのだと聞きます。以前北海道でも一生懸命撮影をしているクルーを見かけました。

f:id:pristine:20160605000820j:plain鳩とたわむれるこどもたち。こちらの子供は坊主頭率が高いです。

さらに歩くと、昨晩到着したハルビン駅にやってきました。f:id:pristine:20160605000916j:plainハルビン駅です。駅にはどこにもスローガンが掲げられていますが・・・
「创先争优」=先を争い優秀な品質を提供しよう
建设和谐○○」=調和のとれた○○を作り上げよう
「为人民服务」=人民のためのサービス
この3つのキーワードで大体のスローガンは作れちゃいます。

第4日目は、ハルビンから中国の首都、北京を目指します。

【この日の移動距離】なし 【累計】750km

【メモ】 ウスリースク発の国際バス時刻(2012年6月現在)

ロシア(ウスリースク)から中国へ国境を越える国際バス時刻です。

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系統/行き先/出発時間/曜日/運賃(ルーブル
805 牡丹江 8:30(始発) 10:40(ウラジオストク発が経由) 毎日 1750RUB
807 綏芬河 7:40 12:10 毎日 1650RUB
808 東寧  9:50 16:30 毎日 1300RUB
810 延吉  7:30 日曜運休 1750RUB
812 ハルビン
綏芬河経由) 8:20 日曜運休 2200RUB
813 ハルビン(東寧経由) 8:50 日曜運休 2200RUB
814 鶏西  7:30 日曜運休 1380RUB

切符は当日の発売になります。
バスターミナル内の切符売り場で購入します。
切符を買うときにはパスポートが必要です。
年末年始や祝日は運休したりすることがあるようです。

※東寧の国境は日本人は通過できないという情報もあります。ご注意を。

私の乏しいロシア語知識で書き出したので、不足等々あるかもしれませんし、変更もあるかもしれません。あくまで参考ということで!必ず現地で確認してくださいね。
綏芬河へはポグラニチニからも多数バスが出ているようです。

day 2 東清鉄道ルートで国境越え

f:id:pristine:20160604232152j:plainウスリースクの夜明け

今日は、ロシアを離れ、中国へ向かいます。ウスリースクから国境を越えて牡丹江、そしてハルビンまで。長い移動の始まりです。

牡丹江行きの国際バスに乗るため、ウスリースクのバスターミナルに向かう。
8時半発。切符は当日朝窓口で購入。窓口はロシア人のおばさんでとても無愛想。困っていると、中国人のバスの運転手(らしき人)が手伝ってくれなんとか購入。
1746ルーブル+発券手数料4ルーブルで計1750ルーブル。日本円にして約5000円、そこそこなお値段。

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バスは中国製。なかなか快適。ほぼ定刻通り8時40分にバスは出発。バスの乗車率は2割ぐらいでガラガラでした。決して良好とは言えない路面ですが、信号も無い一本道をバスは快調に進みます。

そうこうしていると何やら不思議なエリアに。真っすぐに上を向いたパラボラアンテナが密集しているのです。草原の真ん中に次々20個以上も現れるパラボラ。こ、これはロシアだけに宇宙人の集落か!?

f:id:pristine:20160604233019j:plain(後に調べたところ、ウスリースク天体物理研究所だったようです)

やがて2時間ほど走り、国境のロシア側、ポグラニチニに着きます。このバスターミナルで20分ほど休憩。なにやらマーケットが開いていました。このローカル感がたまりません。どうやら一種の免税店のようなものなのか、中国から運んできたものを売っているのか、多くのロシア人でにぎわっています。(聞いてみてもロシア語しか通じないのでわからない!)

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再びバスは出発し、国境へ。さよならロシア!また会う日まで!!

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いよいよ国境越えです。国境ではバスを一旦降りて出国審査・税関(何もしない)を通り、通った先で待っているバスに再び乗ります。

バス全体に消毒液のシャワーを浴びて、中国側のイミグレーションに到着です。古ぼけたロシアのイミグレと対照的な新しい建物。中国はノービザですが、ここからの日本人の入国にはあまり慣れていないらしく、パスポートを持って係員が奥に引っ込んでしまいました。他の人たちはどんどん進むのに・・・。
そうしているうちに隣のブースの入国審査官がたどたどしい英語で「中国と日本の歴史をどう考えているのか」と聞いてきます。うーん、そんな遠大な話の振り方があるのか?「過去には不幸な歴史があったが大事なのは今の友好だと思う」と答えますが、あまり伝わっている感じがしない・・・。聞き取れないなら聞くなよ!(こっちも大してしゃべれないけど)
とはいえ、そんなこんなしているうちに無事スタンプが押され、イミグレを通過します。
イミグレーションの外には、タクシーやバスの客引きがいて、「バスはもういない」とか言いますが、惑わされずに元のバスがちゃんと待ってますので戻ります。

少し走れば、もう中国側の街、綏芬河です。

f:id:pristine:20160604233653j:plainなんということでしょう!超ドローカルだったロシア側とは大違いの都会っぷり。真新しい高層マンション群と公園がいきなり現れました。何やら今の国の勢いを見せつけられるような変化でした。

道路も高速道路になりスピードを上げて牡丹江を目指します。

7時間かかり、北京時間12時30分に無事牡丹江に到着。
バスターミナルでも何でも無い路上が終点だったのはびっくり。(バスターミナルが工事中だそうでした)

牡丹江は戦前は日本人も多く住む町でした。なかにし礼さんの自伝的小説「赤い月」の舞台ともなりました。今は典型的な中国の都市の姿で当時の面影を感じるものはまったくありません。f:id:pristine:20160604234102j:plain

牡丹江からは列車でハルビンへ向かいます。ハルビンへは一日何本も列車があるのですが、結局切符が買えたのは・・・。17時30分発の普快の硬座。中国の列車についてはこの「不快」な経験から色々調べたので改めてページを割いてご紹介したいと思います。

何もすることも無く、観光する所も無いので、駅近くの店で牛肉面を。
「美国加州牛肉面大王」=「アメリカカリフォルニア牛肉麺キング」という華々しい名前のチェーン店でした。肉と言えばアメリカじゃ!という感じなのでしょうか。
思えば、この後中国の旅で度々お世話になる「牛肉面」との初めての出会いでした。醤油味のスープに牛肉が入っているだけの麺なのですが、いわゆる日本における「ラーメン」とか「そば」みたいな地位を築いていて、どこの街でも牛肉面の店を見かけるほど。だいたい1杯日本円で80〜150円ぐらい。f:id:pristine:20160604234109j:plain

さて、定刻17時30分になり出発です。二階建ての硬座車両。せめてもの救いは満員ではないことでしたが・・・、それはそれでより条件のよい環境を求めて熾烈な陣地争いが起きるのでした。

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座席指定の意味などないような中で結果的に窓側の二人席の占領に成功。
列車は夕暮れの満州の大地をハルビンに向けて走ります。

列車は横道河子に到着。かつてソ連を追われた白系ロシア人が多く住んでいた街です。ちょっと風情のある家が並んでいます。f:id:pristine:20160604234117j:plain

中国らしくないと思っていたら、歴史的町並みということで保存が決まっているそうです。「赤い月」で波子が想いを寄せた氷室の家があった街です。(だったと思う)

やがて、夜の帳が降り・・・。

f:id:pristine:20160604234121j:plain深夜23時30分、ほぼ定刻で深夜のハルビン駅に到着しました。
比較的空いていて二人席が確保できたからいいようなものの、6時間リクライニングも無い硬い座席に乗り続けるのはさすがにきつい・・・。
中国の列車のシステムを調べてより条件の良い切符を買えるようにしなければ…。

明日は、ハルビン市内を散策します。

【この日の移動距離】630km 【累計】750km