day 20 アストラハン、クレムリンとレーニンとキャビアと
アストラハンの夜明け。24時間以上炎暑の列車に乗っていたので、ベッドの上から見る朝日が気持ちいい。
早速、街を散策したいと思います。泊まったホテルはNovomoskovskaya。設備も新しく、部屋は広くてバスタブもあり、街の中心部で、最大の見所クレムリンのすぐ近く、見た目も立派で、英語も通じるのに日本円にして7000円弱。ルーブル安でロシアの物価はかなり安く感じます。
ちらほらと子供連れが歩いている公園を抜け、しばらく歩きます。
この街ではまだレーニン像も健在。
街並みは帝政ロシア時代以来の街並みが残っています。これまでの中央アジアのイスラム都市〜砂漠の中の旧ソ連式都市から一気に雰囲気が変わり、ヨーロッパに来たという実感が。
ステップ気候に属するこの街では夏はかなり暑く、街ゆく人々は真夏の装い。ちなみにこの日の気温は35度。一方で冬は寒く、1-2月には最高気温が氷点下になるとのこと。なかなか厳しい気候です。
中心部から外れると、旧ソ連ぽい建物も多少あり・・・そしてロシアに来たということを意外と実感させられるのは、「BANKOMAT」の文字。銀行ATMがあるのです。キルギス、ウズベキスタンでは、通貨が安定していないこともあり街中にATMがありません。(ウズベキスタンではあれだけの数の紙幣を機械に入れておかなければならないわけですし、物理的に無理ですよね)
とはいえ、景気は決して良くはないようで、あちらこちらに閉店した店舗と、аренда(=for rent)の文字。なかなかテナントも入らないよう。
映画館を発見。
ちょっと懐かしい感じがします。あまりシネコンみたいなものはないようです。
街の目抜き通りに来ました。まだ昼間だからなのかあまり人通りがありません。
シナボン発見。このほかこの通り沿いにはマクドナルドなんかもあって、なんというのかいわゆる西側諸国っぽい感じがしてくるのが寂しいようなほっとするような。到着した夜に、迎えの車の運転手にATMがあるか尋ねた時に、「もちろんあるさ、だってアストラハンだからね、なんでもあるよ!」と言っていたのが思い出されます。
さらに歩くと、ヴォルガ川のほとりに出ます。川岸に蓮の花が咲く中、ヨットが練習しています。
市内の小さな橋は恋人たちが永遠の愛を誓う場所になっていました。欄干に見えるのは、全部鍵。二人で鍵をかけて愛を誓う「愛の鍵」というのはロシア全土で流行っているようです。
さて、アストラハンで一番のみどころ、世界遺産にも登録された「アストラハンのクレムリン」に向かいます。アストラハンは、1556年にロシアがアストラハン・ハン国を征服して以来、アジアへの交易の要であった都市。このクレムリンはイヴァン雷帝時代に建てられたそうです。
外は酷暑ですが、建物の中は涼しく、祈りを捧げている人も多く見かけます。
建物だけではなく、中は大きな庭園になっていて、日陰も多くて気分のいいところです。(日なたに出ると日差しがかなりきついですが・・・)
一通り街を見て回り、ホテルに戻ると結婚式の撮影が。
さて、今回のこまぎれもタイムオーバーということで、モスクワ・北京と経由して東京に帰ります。預けていた荷物を受け取り、空港に。
さて、帰るにあたり一応この地のおみやげを・・・今回のお土産は、キャビア!アストラハンはロシアでも有数のキャビアの産地です。青いラベルが最上級の証ということなので、買ってしまいました。ちなみに、この後、モスクワの空港で同じ缶を見かけましたが、アストラハンで買った値段の4倍近い値札がついていました。恐ろしい・・・
【今日の移動距離】0km 【累計】10410km
今回の旅▼
ここまでのコース▼
day 19 カザフスタンを通りアストラハンへ
夜が明けると、カザフスタンです。この辺りは緑の大地が広がっています。きょうは丸一日列車に乗り、ロシアを目指します。
ウズベキスタン国鉄 334Ф列車の時刻表。ウズベキスタンの首都・タシケントからロシアのサラトフまでの3279kmを、2日と17時間をかけて走ります。今回乗車するのはヌクスから、ロシアに入って最初の駅アクサライスカヤまで。距離にして1296km。時間にして約29時間の道のり。以前の北京~ハミの約30時間に匹敵する長時間の旅です。
ほどなく、ベイネウ(Beineu)に到着します。ベイネウはカザフスタンに入って最初の街。カスピ海フェリーの出るアクタウへ行く支線もあり、1970年代にできたこのカスピ海横断鉄道の要衝。多くの旅人が通っているクングラードからの国際列車はここが終点。ただ、街は思ったよりも小さくて、ここで乗り継ぎするのはなかなか辛そう。
今回はそのままロシアまで進む列車に乗っていることもあり、入国審査は列車に乗ったままパスポートを渡すのみで何の質問もなく無事終わり。ちょうどおなかもすいてきたので、食堂車に向かいます。食堂車で頼んだのはラグマン。ここのラグマンは汁が入っているラグマン。思いのほか美味しく、キルギスのオシュで食べた以来の“ベスト”ラグマンでした。
郊外に出るとステップが広がり・・・
ひたすらに広がるカザフステップの中を列車はまっすぐ北西に進みます。
しばらくすると、見渡す限りの塩湖が出現。空の色を反射した、うす青色の湖を眺めていると、自分がどこにいるのか分からなくなるような不思議な感じがしてきます。聞くと、はるか昔、この辺りは海で、その海底がその年の気候によって水が入って、塩湖が現れたり消えたりするそうです。これが見られたのはとても運がいいことなのかも。
しばらくして、ほぼ定刻に次の停車駅マカト(Makat)に到着。立派なモスクが見えます。
ここではおよそ30分の停車。長い時間列車の中に乗って退屈している乗客は、思い思いに外の空気を吸いにプラットホームに出てきます。
そんな乗客を目当てに、ホームには売店がいくつもあり、水や飲み物、お菓子、食べ物、子供向けおもちゃ、雑誌・新聞などなど、あらゆるものをを売っています。氷で冷やした冷たい飲み物も売っています。
日差しがきつい上に日影が全然ないので、外に出た人々も列車の影に入って休みます。
再び発車。コンパートメントの中でじっとしていればそこそこ過ごしやすい感じ。同室のおばさんがくれたソーセージを食べたりしながらぼんやりステップの広がる地平を眺めて過ごします。
所々、小さい街を通過していきます。どんな場所にも人々の営みがあるのだと改めて感じます。
そんな街中をよーく見てみると、なんと街中にラクダを発見!この辺りでは普通にラクダが家畜として飼われているようです。
続いてアティラウ(Atyrau)に到着。
貨物の輸送が盛んなようで、山ほどの貨車と機関車が。
このアティラウはカスピ海の港湾都市で、ウラル川の河口に位置します。ウラル川といえば、アジアとヨーロッパの境。ということは、このアティラウはアジアとヨーロッパにまたがる街ということになります。あまり実感はないけれど、ついにヨーロッパに入ったということですね。
そろそろ夕方なので、またもや食堂車へ。ラグマンかプロフか2つしかないはずのメニューどちらにするか考えながら行くと、食堂車の姉さんが「ピロシキはどう?」とうれしい提案。ということで、夕飯はピロシキ。実は列車の中で売り歩いているのを食堂車でも売っているということです。なので、この代金はピロシキ売りの兄さんに直接渡します。姉さんにはお茶代だけ50ルーブル。
そして夜となり・・・うとうとしながら過ごし・・・出国審査も済ませ・・・
ほぼ定刻のモスクワ時間22:40頃、ロシアの最初の駅、アクサライスカヤ(Aksaraiskaya)に到着。目的地アストラハンの北60kmに位置する鉄道の要衝。ここで降りて、アストラハンに車で向かうのですが、まず入国審査を受けてからでないと外に降りられません。しかし中々入国審査が始まりません。駅について30分後、ようやくパスポートが集められ、しばらくして車掌に呼ばれます。入国審査官がいるコンパートメントに連れて行かれ、質問を受けますが、ロシア語は通じない。すると審査官、スマホを取り出し、Google翻訳でロシア語を英語に翻訳。微妙に雑談みたいな審査を15分ほど受け、2時間後、ようやく外へでることができました・・・。
ここまで約29時間同室の二人。二人ともウズベキスタン人で、ウズベク語とロシア語しか話せないこともあり、あまり会話できませんでしたが、そのまま終点のサラトフまで行き、それから乗り換えてモスクワに行くそうです。どうやら、断片的な話を総合すると、男性は出稼ぎでモスクワに行くようで、これまではウクライナとかに行っていたけど紛争でもう行けないので残念だと。女性はどうやら親類の家に行くところのようです。優しく親切で、長旅も苦にならずに過ごせました。
さて、こちらは迎えに来てもらった車に乗り、霧の中をアストラハンへ。この駅に足止めされるのは嫌だったので、今回はホテルに迎えをあらかじめ頼んでおきましたが、アクサライスカヤで降りる人は結構いて、それを目当てにアストラハンまでのタクシーも沢山集まっていました。ここからの足はあまり心配する必要はなかったのかもしれません。
【今日の移動距離】カラカルパキヤから920km 【累計】10410km
ついに移動距離が10000キロを突破!
ちなみに記念すべき10000km地点は、カザフスタンのマカトとアティラウの間のようでした。
day 18(2) 334Ф列車、タシケント発サラトフ行き
ヌクス駅から、ロシア・サラトフ行きの国際列車に乗り、キャビアの名産地、アストラハンを目指します。実はこの旅では初めての列車での国境越え。
ヌクス駅の駅舎は真新しく、待合室も綺麗。英語、ウズベク語、カラカルパク語の3つの言語で「良い旅を!」と書かれています。駅舎内には飲み物とお菓子の自動販売機があるだけで、売店とかはないので必要なものがあれば駅前のミニマーケットで買い込んでおきましょう。3軒ぐらいあり、カップラーメンや飲み物など一通り売っています。
プラットフォームは2つ。隣のホームにはカザフスタンのベイネウからの列車が定刻通り到着していました。ベイネウまでは、100kmほど西に行ったクングラードから国際列車が出ていますが、今はヌクスからも列車が発着しているようです。
今日乗る334Ф列車はディーゼルの音を響かせながら、定刻より約30分ほど遅れて到着。始発駅のタシケントから24時間走りヌクスに到着です。
西日が差して暑い車内に入ると、自分のベッドのところには先客が。とはいえ、どうやら他の寝台だけど空いてるからこちらに来ていたようで、チケットを示すと、どうぞどうぞごめんね、という感じで出て行きました。
今回の切符。ヌクスからロシアへの国際列車は、週に4本ほどあるのですが、そこそこ人気があるようで当日ではチケットが取れないことが予想されたので、今回は日本でこのチケットだけは手配していきました。手配をお願いしたのは、インツーリスト・ジャパン。インツーリストは、昔のソ連国営旅行社で、ソ連時代は外国人を唯一受け入れるオペレーターでした。今でも旧ソ連諸国最大の規模を誇るそうです。
最初問い合わせた時は、手配は可能で、バウチャー(引換証)を駅で実物の切符に引き換えるという話でした。ところが、ヌクスではバウチャーを切符に交換できないということが手配を始めた後に判明し、色々検討していただいた結果、ロシア国内でバウチャーを切符に引き換え、それを日本に送ってもらうという荒技をやってのけてくれました。流石です!感謝。
実際、当日切符売り場では「満席」ということでした。かなり現地での購入はハードルが高そうです。
車掌のパスポート確認や諸々終わり、そろそろ19時。夕食の時間ということで、食堂車に行くことにしました。メニューはラグマンとプロフ。今日はプロフにしました。ついでにビールを。ぬるいながらこのクソ暑い中、久しぶりのビールはうまい!
食堂車はそんなには混んでおらず、食料を持ち込んでいるか、駅ごとにいる物売りから買って自分のコンパートメントや寝台で食べる人が多いようでしたが、食堂車は気分転換にもなっていい感じ。ちなみに、支払いはロシアルーブルかウズベクスムしか受け付けてもらえず、ドルはダメということでした。プロフとビールで250ルーブル(=約400円)。ペットボトルの水なんかも売ってくれて、50ルーブル(=約80円)。親切だし便利です。
車掌さんから受け取ったシーツを引き、枕カバーをつけて、寝ます。乗った当初は暑くてエアコンないんだとがっかりしましたが、どうやら微妙に入っているぽく、コンパートメントの扉を閉めてじっとしていると、ほのかな冷風が入ってきて、ほどほど快適な感じに。
少し寝入ったところで、夜中の1時過ぎ、ウズベキスタン最後の駅、カラカルパキヤに到着。出国審査を受けます。ほどほど効いていたエアコンは切れて、車内はなかなかの暑さに・・・。車輪をハンマーで叩いて打音検査するコン、カン、コン、と言う音を聞きながら、じっと体を動かさず、じわじわ汗をかきながら暑さに耐えます。
パスポートは集められてスタンプ押されて返ってきます。続いて税関。以前タシケントの空港で賄賂をせびられた記憶がありかなり警戒しましたが、荷物の中をちらっと見たのと、申告書の記載を少し質問されただけで特に何もありませんでした。よかった。
【今日の移動距離】カラカルパキヤまでで440km 【累計】9490km
day 18(1) 再びヌクス、サヴィツキー美術館とミズダカン
ふたたびのヌクス。夏のヌクスは見事なまでの暑さ!気温は38度。日差しが厳しく、日向での体感は45度ぐらいな感じ。日差しを浴びているとクラクラしてきます。
さて、前回は街は歩き回ったものの、大事なところを訪れていませんでした。
それが、イゴール・サヴィツキー記念カラカルパクスタン共和国国立美術館。内部の撮影は高額のお金がかかるのでしていませんが、ソ連時代迫害を受けたロシア・アヴァンギャルドのコレクションが多く残る貴重な美術館として有名です。
かなり設備的には厳しさを感じる状況ながら、コレクションと展示は驚くほどのレベル。
ルイセンコ「雄牛」など、当時体制への痛烈な批判として解釈された絵画を、辺境とも言えるこの地に集め続けたイゴール・サヴィツキー。これらの絵画を描いた画家たちは拘束され、シベリアの強制収容所に送られるなどしていた時代、これだけの規模のコレクションを、一公立美術館のディレクターという立場を活用して集め続けたというのには、本当に驚きを感じます。新館も建てていましたが、こちらは展示などはしていないようです。
ヌクスの人と話をすると、みんな言うのは「美術館は見に行ったか?」。人々に本当に誇りにされている美術館なのだと実感します。
美術館の周りは、真新しい建物がたくさん。この数年でだいぶ開発が進んでいるようです。ただあまりお店も入っている感じがなく閑散としているのが気にかかるところですが、まあ、暑いからかもしれませんね。とにかく、炎暑という言葉がしっくりするほどの日差し。ただ、一方で湿度が低いからか日陰にいるとあまり厳しさを感じません。
少し歩いて中央市場に向かいます。変わっていない雰囲気にちょっと安心。
市場の中で昼食にしようと思ったのですが、あまり良さそうなところがなかったので、5分ほど歩いて見つけたオープンテラスのレストランに。この辺りで一般的な麺、ラグマンはあるかと聞いたところあるというので頼みます。この辺りのラグマンはキルギスやウイグルで食べたようなお汁につかっているのではなく、ナポリタンのパスタのようなラグマンです。これはこれで美味しい。
お腹もいっぱいになったところで、郊外のトルクメニスタンとの国境のそばにあるホジェリという街にあるミズダカンという遺跡に向かいます。タクシー往復と待ち時間入れて、およそ50000スム=約10ドル。
30分ちょっと走ってミズダカン(Mizdakhan)に到着。
ミズダカンは、かつて古代ホレズムで2番目に大きかった都市と言われています。その歴史は紀元前4世紀から続き、14世紀に入ってティムール朝により破壊されるまで続きました。その跡地に墓が建てられるようになり、現在に至ります。
いくつかの廟を見て回ることができます。一部の廟は内部も復元され、再び美しい姿となっています。内部は半地下の構造になっており、外の酷暑が嘘のように涼しく(むしろひんやりとして)、静寂の空間が広がっています。
ここから見えるもう一つの丘には、ギャウル・カラと呼ばれる城塞の跡が見えます。ギャウル・カラとは異教徒の城、という意味で、ゾロアスター教を信じる者=異教徒が作った城ということでのちのイスラム教徒がつけた名前と言われています。
ここには、アダムの墓と伝えられている遺跡もあります。この石が全て崩れ去った時、世界は終焉すると言い伝えられているそうで、それを防ぎ神に祈りを捧げるために石を積む(=再び建設する)風習があるようです。
1時間ほど見て回り、ふたたび、時折馬車も走るのどかな道をヌクスに帰ります。
ヌクス駅に到着。駅は街の中心部からは車で5-6分走ったちょっと離れたところにあります。今日はここからロシア・アストラハンまでカスピ海の北岸を通り列車で向かいます。
day 17(2) 外貨申告は正確に
午後は、一時帰国のため、タシケントに戻ります。砂漠の土地が・・・
緑の大地に変わる頃、タシケントに到着します。ジェット機で1時間半、プロペラ機では2時間半ほどかかります。
まず、向かったのは中央アジアプロフセンター!
中はなかなかそこそこな感じに見えますが、けっこう適当です。
大きな鍋でプロフ(ピラフのような炒めご飯)をいくつも作っていて、好きなのを選んでお金を払って買ってきて先ほどの席で食べます。なかなか盛況。
その後は地下鉄に乗って伝統工芸センターへ。古いメドレセが改装されて、いくつものアトリエになっています。
即売もしていますが、
伝統工芸品の製作もしていて、飽きません。
再び地下鉄に乗り(地下鉄は撮影禁止で写真がありません・・・)、新市街へ。
第二次世界大戦後抑留された日本兵が建てたという「ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場」を見て・・・、
日も暮れてきたので・・・
タシケント国際空港に戻ってソウル行きのフライトに乗ります。ウズベキスタンには韓国企業が多く進出しており、東京直行便よりもソウルを経由した方がフライトが充実しています。
せっかくなので、出国の際の注意がいくつか。
ウズベキスタンでは、宿泊の際に外国人は宿泊登録が必須で、その登録をした証紙をくれます。これを出国の際に求められる事があります。でも、自分の場合はパラパラとめくられただけで特段何も言われず問題なし。ちなみに、夜行列車の場合は切符を購入した時に窓口でこの紙をくれるのですが、これは単なる領収書ではなく、証紙、いわゆる「レギスト」なので無くさないように。
もう一つ大事なのが、外貨申告。ウズベキスタンはこの外貨申告がものすごく厳重です。1円単位で申告しなければなりません。入国時に申告し、その時の用紙とともに、出国時にも申告しなければなりません。これはかなり要注意です。この時とは別の時に出国時の申告で、少額(合計約5000円程度)の人民元とキルギスソムがあったのですが、書き込む欄も少なかったので申告しなかったところ、税関検査で小部屋に呼ばれ、1対1で検査。嫌な予感。そして、荷物の中からその少額の紙幣が発見されました。
「なぜこの外貨を申告しなかったのか」
「少額だし忘れていた」
「わが国では外貨の無申告持ち出しは少額でも犯罪だ。没収と共に、罰金を科すことになる。聴取をした上で裁判を行わなければならないので、あなたは予定している飛行機に乗ることはできない。」
「忘れていていただけなので、申告を修正したい。没収されるのは構わないが…」
「それはできない・・・」云々が続き、いよいよやってきました。
「これ(USドルの50ドル紙幣)だけ『プレゼント』しないか?」
うーん、もう仕方がない。50ドル札は税関係官のポケットに。どうせなら、両替もできないキルギスソムとかを持っていってくれたらいいのに。
しかし、首都の国際空港といえば国の表玄関。申告しなかったのはこちらの非とはいえ、それがこの有様では何とも残念な感じ。挙句に「今後は気をつけるように」とか一人前に説諭しやがり、非常に胸くそが悪い。おかげでその後は気をつけていますが。皆さんももし行くことがあれば気をつけてくださいね…。
day 17(1) ヌクス
ヌクスの朝。
カラカルパクスタン自治共和国は、ウズベキスタンの中にあって、一定の自治権を与えられた共和国です。ここヌクスは、その首都。もともとは小さな集落でしかなかったヌクスは、ソ連時代にカラカルパク自治共和国が発足すると、その首都として一気に計画都市として整備されたそうです。街は碁盤の目状の広い街路と整然とした建物群でできており、ソ連時代の色を強く残す計画都市です。
街中の足はマルシュルートカ(路線の決まっている乗合タクシー)。とはいえ街自体そんなに大きくないので、歩いて回れる程度の大きさです。
劇場では小学校の発表会のようなものをやっっているみたい。
大学の建物にはウルグ・ベクの像が。ティムール朝の4代目の君主ですが、主に文人としての業績を讃えられている人です。サマルカンドのウルグ・ベク天文台も彼が作らせたものです。
広い道とソ連時代を彷彿とさせる建物たち。
周辺には閑静な住宅街が広がっています。
しばらく歩くと市場が。街中に商店が少ないのもヌクスの特徴で、この中央市場以外にはあまり規模の大きな商店を見つけることはできませんでした。
どうやら、あまりのインフレで札束を持って買い物に行くのもきついので、電子マネー的なものが普及しつつあるようです。
市場の隣には、マルシュルートカのターミナルが。行き先別に場所が割り振られていて、そこそこわかりやすくなっています。
今回の旅はまたここで小休止。なんとも中途半端な場所になってしまいましたが、改めてヌクスから再開します。
【今日の移動距離】なし 【累計】9050km
ところで、ヌクスは経度が東経59度36分。旅をスタートしたウラジオストクが東経131度53分。経度にして72度回ったことになります。ということは、ようやく地球5分の1周したことになります。
今回の旅▼
ここまでのコース▼
day 16 船の墓場、アラル海のかつての港町ムイナクへ
昨日のうちに手配を頼んでおいた車に乗って、ヒヴァの街を朝7時に出発。かつてのアラル海の港町ムイナクを目指します。
まずは車に燃料を補給。ウズベキスタンは天然ガスの産出国で、ここではガソリンより天然ガスのほうが安いため、ほとんどの車は改造してメタンガスやプロパンガスで走っています。この車はプロパンガス。ただ、メタンのほうが人気らしく、メタンガスのガススタンドは長蛇の列でしたがプロパンは閑散。ドライバーは「こっちは空いてるんだよ」と微妙に自慢顔。さっさとガスを入れて先を急ぎます。
アムダリア川を渡ります。かつては浮き橋しかなかったそうですが、今は立派な橋が。大きな川ですが、灌漑によるこの川の水量の低下が世界第4位の大きな湖であったアラル海の縮小を招き、世界最大級とも言われる環境破壊につながったと言われています。
しばらく鉄道線路と平行して道路を走ります。この線路はこの先カラカルパクスタン自治共和国の首都ヌクスを通ってロシアまで続く線路。100両近い貨車を連ねた貨物列車が走ります。東西をつなぐ物流の動脈になっているようです。
反対側の窓の外には、小高い丘の上になにやら輪っかのような遺跡が。この辺り、キジルクム砂漠は、古代ホレズム王国の文明が栄えた地で、これも城塞の一つだと思います。
しばらくするとヌクスの街を通過。
この辺りから白い地面が目立つようになります。雪でもなく、これは塩が析出している地面です。灌漑しても水が蒸発するばかりの土地では、塩だけが残ってその土地は最終的には耕作できなくなってしまいます。
しばらく走り、はや、昼の12時。街道沿いの小さな食堂で昼食休憩です。
昼食が終わればまた荒涼とした大地を走り続けます。
所々わずかな草地では放牧が。ムイナクが近づいてくると水面も見えてきます。
午後1時半頃、ようやくムイナクの街に到着。漁港の町であることを誇るように、カモメや魚を描いた街の看板。街中にも船があったりするものの、あまりにも閑散とした街並み。
さらにそこから道をまっすぐ行った突端は、水面ではなくどこまでも続く砂でしかありません。ここはかつての岸辺。ここには看板があり、これまでのアラル海の衛星写真が飾ってあります。1960年、日本の東北地方と同じぐらいの面積があった世界第4位の大きさを誇る湖であったアラル海は、その主要な水源であったアムダリア川が灌漑事業のために水量が低下したことなどで水位が低下、徐々に縮小していきます。
そして、2009年にはほぼ「消滅」。湖岸はこのムイナクの街から80km近く先に後退してしまったのです。大アラル海の水量はかつての6%にまで減少しているということです。
今、ムイナクには、乾いた空気と風の音が響く中、取り残された船の墓場だけが残っています。
遺棄され朽ち果てた船は、遠く、地平線の先にあるわずかに残された海を見ているのでしょうか。
最大の産業であった漁業を失った街もまるでゴーストタウンのようです。ほとんど人影を見ないこの街の姿は、まるで終末の世界を見るようです。
街の博物館があるということで行きましたが、改装中なのか閉館してしまったのか、廃墟のような状態でした。その中にぽつんと置かれていた漁師の像。彼が持っている魚はもうここにはありません。
再び、来た道を戻り、ウズベキスタンの西部を占める「カラカルパクスタン自治共和国」の唯一と言ってもいい都市であり首都のヌクスに戻ります。
【今日の移動距離】600km 【累計】9050km