Chopped Around the World 〜こまぎれ世界一周

世界一周はしたいけど、仕事は辞められない。 わずかな休みをこまぎれにつなぎながら、少しずつ陸路で世界一周を目指します。

day 7 一回お休み

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さて、休みは長く取れないもので、新疆ウイグル自治区までやってきた旅、ここで一旦休憩にします。ハミ空港から帰国します。ハミ空港は中心部からタクシーで30分ぐらい。

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ハミからはほぼ唯一の定期便就航都市、自治区の中心都市のウルムチへ。

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窓の外には砂漠の中に整然と作られた街が見えます。

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岩石と砂の地平が広がります。

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およそ1時間後、ウルムチに到着。

この後、ウルムチから国内線に乗り継ぎますが、なんと3時間近く遅延。東京までの便に乗り継げないというトラブルが発生!中国の国内線は遅れやすいとは聞いていたものの、まさかこんなことになるとは。

北京首都空港のカウンターも慣れたもので、翌朝の便に振り替えてくれ、この日は思いがけず北京泊となりました…。

day 6 (2) ウイグルの入り口、ハミ

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ウイグル最初の街、ハミを歩きます。北京から約2000km。もうここは完全に中央アジアの世界でした。画一的な中国の都市とは違い、明らかに違う文化圏に入っていることを感じます。

ハミ駅前からバスに乗り中心部へ。

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中国は全国一律で北京時間を使っているのですが、ウイグルは遠く西に離れており、実質2時間の時差があります。そのため、新疆時間と呼ばれる時間を使うことも多く、時間を尋ねるときはどちらの時間で言っているかよく確認しないといけません。ハミに着いたのは北京時間16時過ぎですが、新疆時間では14時。まだまだ日は高い時間です。

日差しはきついものの、木々の緑は淡く涼しげで、木陰を歩くと湿度も低く気持ちのいい気候。

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まずケイス墓を訪れます。ケイスはイスラム教を中国にもたらした宣教師で、600年代にハミの近くの星星峡というところで亡くなったとされています。そのお墓を移築したのがここ。お墓と言いながらもまるで過ごしやすそうな家といった風情。

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さらにそこから歩いてハミ回王墓へ。

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ふむふむ。やや怪しげながら、日本語の紹介もあり。

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かなり栄えた都だったようです。イスラム文化圏に入ったということを実感。

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街並みは西域の風情。

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ハミはハミ瓜というスイカが有名。市場にもハミ瓜が山積みに。

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標識や看板にもウイグル語が入ります。ウイグル語の文字は改良アラビア文字と呼ばれ1つの音素に1つの文字を対応させたものだそうです。

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しかし、この絵ってなぜこんな・・・?

宿に戻りテレビを見ても、明らかに違うタイプのCMが。

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しかしテレビの内容は中国。

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この頃はちょうど日本では集団的自衛権をめぐる論議が巻き起こり、中国では連日「日本の軍事的脅威」について積極的な報道が行われていました。日本はアメ リカやインドと連携して中国の包囲網を作りつつあり、中国は軍備を増強してその脅威に立ち向かわなくてはならないのだ、という論調です。

day 6 (1) 引き続きT69次でハミへ

f:id:pristine:20160116232802j:plainT69次はどこまでも続く赤茶けた大地をひた走ります。

夜が明けると、嘉峪関でした。万里の長城の西の果てです。f:id:pristine:20160608232226j:plain朝の8時半。時刻表によれば予定出発時刻は7時34分なので、1時間遅れの模様。f:id:pristine:20160608232625j:plain

朝ご飯を再び食堂車で食べます。f:id:pristine:20160608232411j:plain

窓の外は、変わらず砂漠が広がっています。
軟臥のコンパートメント。4人一部屋なので、同室に誰が入るのかで快適さは大きく変わりますが・・・。
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今回同室だったのは、60代の夫婦と、40代のビジネスマン。ご夫婦は北京に住んでいるそうですが、定年退職しており、ウルムチに住む古い友人を訪ねての旅だそうです。奥さんは足が悪く、大変そうでしたがずっと寝て行けるので楽だということでした。

f:id:pristine:20160608233112j:plainちょうど尖閣諸島を巡る動きが先鋭化してきていた時でしたが、個人対個人になってしまえば日本人も中国人も関係なく・・・
漢字の国の人で良かったと思うのは、こういう時筆談でならある程度の中国語の文法さえ分かっていればコミュニケーションがとれることでしょうか。あと、筆談でわかったことは、どうやら僕はいびきをかいていたらしい、ということ。すいません。

そうこうしているうちに、ウイグルの入口、哈密(ハミ)の街に到着。f:id:pristine:20160608233512j:plain

ハミ到着は13時半の予定でしたが、遅れはさらに広がり、16時ちょうどの到着でした。北京西駅を発車してから30時間。f:id:pristine:20160608233452j:plain

ハミ駅はこの後改修工事で閉鎖され、現在は「ハミ南駅」に旅客列車は発着するようになりましたが、この時はまだハミ駅。f:id:pristine:20160608233636j:plain

駅前のホテルにチェックインして、街の表情を見に行きたいと思います。

【昨日と今日の移動距離】2550km 【累計】4550km

day 5 北京からT69次列車

f:id:pristine:20160606232141j:plain第5日目は、北京から一路新疆ウイグル自治区を目指します。

北京は、以前同級生が駐在していたこともあって何度も遊びにきて大体街は知っているので、さっさと先を急ぎます。
5日目の旅の出発は、北京西駅。地下鉄が通じていない(正確に言うと「中心部から通じていない」)ので、ホテルでタクシーを呼んで行きました。f:id:pristine:20160606232250j:plainとても巨大な駅です。
北京にはいくつもの駅がありますが、その中でも新しい「北京西駅」。香港行きの列車も発着する、北京の二大ターミナルの一つです。

ここから、T69次特快に乗ります。f:id:pristine:20160606232421j:plain

T69次特快は、北京西と新疆ウイグル自治区の区都、ウルムチまでの3105キロメートルを約34時間で結ぶ超長距離列車です。特に夏は中国国内の観光客も多く、中々切符がとれない人気列車なのですが(ちなみに現地の旅行代理店に頼もうと思ったら「とれない可能性の方が高い」と手配を断られました。)、ネット予約で、何とか、この人気列車の軟臥を手に入れることができました。ネット予約万歳。

北京西駅を定刻に発車した列車は、緑の大地を快調に走り抜けて行きます。

食堂車でお弁当を食べたりしながら・・・f:id:pristine:20160606232750j:plain

4時間後、太源に着きました。f:id:pristine:20160606232910j:plain
太源は、中国の古都の一つ。かつての晋の王朝が都を置きました。
ここから銀川までの区間は新線が開通、それまではウルムチまで40時間かかっていたとのこと。

新線区間に入ると、徐々に車窓の風景は山がちに・・・f:id:pristine:20160606233213j:plain

と、そんな山肌をくりぬいた家を発見!f:id:pristine:20160606233325j:plain家が建っているのではなく、崖をくりぬいて入口に門構えをつけた家々が現れました。
 
T69次列車は引き続き快調にウルムチを目指します。
ほどなく夜に・・・。

朝の10時から列車に乗ってずっと一日中乗っているなんてどんなに辛いかと思っていましたが、寝て風景見てまた寝て食べて、少し同室の人と話して、食堂車行って、なんてしているうちにあっという間に夜です。意外と大丈夫なものですね。

食事に困るのではと、大量の菓子を買い込んできたが、特にこの列車は食堂車の人が親切で、ご飯に困ることも無く、大体一人ならこんなもんよ、とメニューを決めてくれたりしてありがたい。
晩ごはんは魚の煮付け。美しくはないがかなりうまい。

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さて、夜も更けてきました。おやすみなさい。f:id:pristine:20160606233438j:plain

明日は、新疆ウイグル自治区の哈密(ハミ)で列車を降ります。

【この日の移動距離】夜行列車なので、明日まとめて。

day 4 (2) 長春から北京

f:id:pristine:20160117002750j:plainさて、長春の街に出ます。皇宮のちょい先は中国らしい混沌が待っていました。

ずいぶんと大衆的っぽい演芸。
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満州国時代の街並みが残っていると聞いていたのですが、すでに再開発の波にのまれつつありました。
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しばらく歩くと、長春の中心部へ。
すると、何やら立派な建物が見えてきます。

f:id:pristine:20160606000840j:plainかつての「関東局」「憲兵隊司令部」庁舎でした。現在は「吉林省人民政府」になっています。

そこからさらに大きな道を越えると、何と今度はお城が見えてきました!

f:id:pristine:20160606000911j:plain当時の満州国に駐留した日本の軍隊、「関東軍司令部」です。
駐満日本大使館を兼ねていました。
さすがに満州の大地でお城を見ることになるとは!
この日本式の城をこの地に軍隊の司令部として建てたあたりに、当時の日本の満州に対する見方をかいま見るような気がするのです。
現在は「吉林省共産党委員会」として使われています。
この、時代の象徴とも言える建物を壊さずに使っているあたりが、何とも不思議と言えば不思議なのですが・・・。彼らからすれば「国辱」であるはずの象徴を残すのは、「臥薪嘗胆」みたいなものなのでしょうか?

他にも数多くの満州国時代の遺構が残っています。

f:id:pristine:20160606001014j:plainこれは当時の「首都警察庁」、現在も「長春市公安局」として使用されています。主人は変われど、用途は変わらず、というところでしょうか。

さて、そろそろ長春駅に戻り、北京に向かうことにします。
再び和諧号に乗って瀋陽北駅へ。窓の外には緑の大陸が広がります。 f:id:pristine:20160606001323j:plain

瀋陽北駅で、北京行きに乗り換えます。
駅はきれいですが、待つ人々の姿は変わりません。

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再び、和諧号D8番列車に乗り、北京へ。

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約4時間、ほぼ定刻の23時半に北京駅に到着しました。

駅前はタクシーを待つ長蛇の列。

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中国では、深夜のタクシーは大変です。メーターで走ってくれないことも多いですし、何より元々安いせいか、みんなタクシーに乗ろうとしますので完全な売り手市場です。空港からならまだしも、駅からタクシーに乗ろうとは考えない方が無難です。列車から降りた大量の人がタクシー乗り場にそのまま列をなすので・・・。

幸いホテルは歩いてすぐの所に取ってありましたので、徒歩で宿に向かいます。
明日は、いよいよ新疆ウイグル自治区へ向かいます。

【この日の移動距離】1250km 【累計】2000km

【メモ】中国の鉄道ネット予約

何かと混雑する中国の鉄道。駅で中々切符が買えない!の対策として考えたのが、当然ながら「事前に予約する」でした。

しかし、日本から中国の鉄道を予約するには多額の手数料と、思うようにならない旅行代理店とのコミュニケーションが必要です。
 
しかし!経済発展著しい中国のこと。ついに全国の鉄道の切符をネットで予約・購入することが出来るようになっていました。
中国鉄路客戸服務中心」(中国鉄道顧客サービスセンター)で、何と、中国全国のほとんどの列車の切符を19日前から予約・購入できるのです。(春節などは別途購入できる期間が定められます) しかも、駅への割当とは別の座席が確保されていることが多く、どうも予約しやすいように思います。f:id:pristine:20160606000247p:plain
ただし、このサイトには決定的な問題が・・・。中国の携帯電話と、銀行口座あるいは中国国内で発行されたクレジットカードが必要なのです。
そこで、まずは中国の携帯電話と銀行口座を手に入れる所から全ては始まります。
 
1)携帯電話
中国では、何をするにも携帯電話が必須です。例えばネットで何かを購入するにも、登録するだけでも、携帯電話の番号は絶対に必要です。多くのサイトで本人認証のために、携帯電話にパスワードをSMSで送る仕組みになっています。そのため、何はともあれ最初に電話が必要なのです。
私の場合、ドコモのスマートフォンを持っていたので、まずこれをドコモショップSIMロック解除してもらいます。その上で、中国移動(あるいは中国聯通など)のSIMカードを手に入れることにしました。
ちなみに、中国在住以外の方でしたら、契約するSIMカードは中国移動(しかも上海移動)がおすすめです。なぜなら、プリペイドSIMカードでも上海移動なら口座に一定の金額さえあれば国際ローミングができるからです。つまり、日本にいても、中国の携帯へのSMSを受け取ることが出来るのです。しかも、コールセンターは日本語が通じるので、確実です。
SIMカードを手に入れるには、いくつもの手段がありその辺でも買えるのですが、国際ローミングをするには、中国移動のカウンターに行って、「実名登録」をする必要があります。パスポートと、SIMカードを持って(なければその場で契約すればいいのですが)、実名登録と国際漫遊(ローミング)をしたいと申し出れば大丈夫です。大きな都市の大きな営業所なら、誰かしら片言でも英語の出来る人がいたりします。
 
2)銀行口座
次に、銀行口座を作ります。
旅行者でも銀行口座はパスポートと携帯電話さえあれば作れます。
しかし、小さな支店では英語も通じないので、中国語のしゃべれない人は大手銀行の大きな都市の最も大きな支店に行きましょう。例えば、中国銀行中国工商銀行などです。上海なら上海浦東発展銀行とかでも大丈夫だと思います。
このとき大事なことは、ネットバンキングの登録をすることです。これをすれば、日本からでも口座の管理や、口座を使ったお金の支払いが出来るようになります。

この二つがそろったら、鉄路客戸服務中心で切符の予約と購入が出来るようになります。
まずはサイトのトップページ左側にある「網上購票用戸注册」から、ユーザー登録をします。このとき携帯電話番号が必要になります。
ユーザー登録が終わったら、次は「購票/預約」から、実際に切符を購入します。
予約ができたら、支払いを行います。ここで、先のネットバンキングが必要になります。支払いが終わると、予約番号が表示されますので、この予約番号をプリントした紙を持って、パスポートと一緒に駅の窓口で紙の切符に引き換えればOKです。

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大きな駅なら、「互聯網取票」というネット予約の切符引き換え優先の窓口がありますので、ここで受け取りましょう。(中国の駅の窓口は大混雑なのと、発車間際には引き換え終了になるときがありますので、発車の2時間前ぐらいまでには引き換えておきたいところです。ちなみに、違う駅から発車する切符も引き換えられますので、何枚もある時は一気に引き換えておいた方が楽です)
 
ここに書いた他にも、このネット予約は中々奥が深く、中国の鉄道予約システムの混沌とした姿をかいま見ることが出来るのですが、とりあえず、今日はこんな所で。
 
 

day 4 (1) ハルビンから長春へ

f:id:pristine:20160605233202j:plain今日は、ハルビンから長春に立寄り、中国の首都、北京へ向かいます。

f:id:pristine:20160605001014j:plain泊まった「龍門貴賓楼酒店」。かつてのハルビンヤマトホテル。1903年に東清鉄道ホテルとしてロシア資本で開業、その後「満鉄」=南満州鉄道の経営になり、戦後は学校になったりしながら、改装され今はホテルとして営業しています。
とても重厚な建物で歴史の重みを感じるホテルです。

さて、ホテルはハルビン駅のすぐ前だったので、あっという間に駅に到着。f:id:pristine:20160605234201j:plain相変わらずの人の多さです。中国の鉄道は、発車の直前にならないと改札を始めません。日本のように自由にホームに入れる訳ではないのです。なので、みんな待合室で改札が始まるのを待ちます。

そして、ここから北京までは中国版新幹線「和諧号」。f:id:pristine:20160605234441j:plainまだ1000キロも進んでいないのに、椅子が木製のシベリア鉄道の各駅停車から、最新鋭の高速鉄道まで一気に進化する鉄道にやや戸惑います。さらに今回から、切符はインターネットで予約することが出来るようになりました!(パチパチパチ)

f:id:pristine:20160605234314j:plainかつての南満州鉄道。緑の大地を和諧号CRH5型電車はほどほどなスピードで飛ばして行きます。

この区間はまだ在来線で、そんなに速度は出ません。2時間ほどで長春駅に到着です。(この後年末に高速鉄道新線が開業して所要時間が大幅に減りました)f:id:pristine:20160605234753j:plain

長春は、かつて満州国の首都「新京」だった街です。
「新京」であった時期はわずか12年でしたが、その間に莫大な投資が行われ、当時の最先端の計画都市を建設したのです。今でも当時の建物が多く残り、中国の他の都市とは少し違う独特の雰囲気を醸し出しているのです。
この長春を少し散策してみましょう。

f:id:pristine:20160605234700j:plain駅を降りると、ちょうど大学の入学シーズンにあたるのか、多くの大学が地方から来る新入生を迎えに出ていました。

出来たばかりのライトレールに乗り、まずは満州国皇帝だった愛新覚羅溥儀(“ラストエンペラー”ですね)の皇宮を見に行きます。長春駅の北側から乗車します。f:id:pristine:20160605234902j:plain

3つめ、「偽皇宮駅」で下車。開発中の荒涼とした道を歩きます。

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だいぶ歩いて、かつて溥儀の暮らした皇宮を保存した博物館、「偽満皇宮博物院」にようやく到着です。

f:id:pristine:20160605235359j:plain意外にも保存状態は大変よく・・・

内部の調度品の保存や、展示、説明もとてもしっかりしたものでした。
中国において溥儀の存在と、その教化は旧時代から新時代へのまさに「社会主義革命」の象徴のような面があります。溥儀は社会主義中国で「再教育」を受け、一人民としてその生涯を過ごすことになります。この博物館でも、溥儀の生い立ちから、皇帝としての生活、再教育とその後の生涯に関する展示が行われていました。

f:id:pristine:20160605235438j:plainイデオロギーがどうであるかは別として、激動の時代を生き抜いた最後の皇帝の生涯を実感として感じられる素晴らしい博物館でした。
中国の日本統治時代を語る博物館にしては、比較的抑制的というか、客観的な説明が多く(あくまで比較的、ですが)、純粋に歴史を知るという意味で価値のある訪問先だと思います。

では、再び街に出て、
引き続き、長春市内の昔の面影を探してみましょう。