day 14(1) ウズベキスタンの新幹線、アフロシャブ号でサマルカンドへ
タシケントの朝。再び旅を始めます。ウズベキスタンの首都、タシケントから西へ進む旅です。(この旅、実は先ほどのイルケシュタム峠越えより前に行っています。イルケシュタム峠を越えようと思い休暇を取ったらたまたま中国の休日にあたってしまい、国境も休みということが判明し、急遽タシケントから先を進んだのでした。ですので、書かれているのは2013年時点の話です。)
インフレの激しいウズベキスタン、空港からホテルまでの間のタクシーの運転手に両替してもらったら札束が。これで20USドルぐらい。カバンの中が札束でいっぱいになってしまいます。買い物の時はみんな札束を持ち歩いていて、買う方も売る方も銀行員ばりに数えるのが早い・・・
ウズベキスタンには公定レートと闇レートがあって、1.5倍から2倍位の差があります。この時は、闇レートで大体この500スム札1枚が10円くらい。何を買うにも、全部10円「札」で払うような感じです。
地下鉄に乗ってタシケント駅へ。地下鉄は撮影禁止な上に警察官が大量にいて微妙な緊張感がありました。
朝7時半、切符を買ってホームへ向かいます。タシケントからサマルカンドまで。04号車の11席。50018スム=約1000円。
アフロシャブ号。スペイン製の高速列車です。高速で走れる区間は限られているようですが、サマルカンドまでの約340kmを2時間ちょっとで結びます。
車内もきれい。
軽食がつきます。サンドイッチとクッキー。
定刻通り、朝8時に出発。この列車、1日2往復あり、タシケント発が朝7時と8時、サマルカンド発が17時と18時です。この日はたまたま空席があったのですが、聞くところによるとかなり混雑していて、事前に予約した方が確実ということでした。
タシケントを出発した列車は南に向かい、その後タジキスタンとの国境に近いところを西に向きを変え走っていきます。かつて、タシケントからサマルカンドへの線路はまっすぐ南西に進んでいたのですが、一部にカザフスタン領内を走る区間があるので、ウズベキスタン領内だけを走る線路を改めて作ったということです。
定刻通り10時過ぎにサマルカンドに到着。快晴。オアシス都市らしく緑に噴水まで。街中へ出ようと歩いていたら、なんと日本語で話しかける人が・・・!
一体どういうことなのか!?
【ここまでの移動距離】340km 【累計】7680km
day 13 オシュからタシケント
オシュの朝。トロリーバスの走る街を出て、早速、ウズベキスタン国境を目指します。
国境までは車で15分ぐらい。宿のフロントの兄さんが送って行ってくれるとのこと。ちょっと行くと道を牛とかが横切っていたりします。
15分で国境に到着。キルギス時間10時。出国はスムーズでした。どこに行くのか聞かれ、どこから来たのかを聞かれ、しばらくパスポートをじーっと見られてスタンプを押されました。
キルギス側イミグレ。かつてソ連時代はここに国境はなかったはずなのですが、現在はこの国境、車で通過することもできず、歩いて渡らなければなりません。
ごくわずかな距離の緩衝地帯を歩くと、ウズベキスタン側ボーダーに到着。こちらは打って変わってなかなか大変な国境。まず、税関申告書を書かなくてはなりません。これがロシア語の書式しかなく、地球の歩き方に載っている英語書式のものと照らし合わせながら書き、なかなか進まない列に並んでチェックを受けます。ところが書き方が多少違うらしく、直し直され。
その後、今度は税関。荷物を改められ、そしてなんと、携帯電話に入っている写真を全てチェックされます。激しく時間がかかるのですが、イスラム過激派関連の映像や画像、ポルノの持ち込みをかなり警戒しているようでした。
さらに、人によっては小部屋に連れて行かれ、服を脱いで検査。自分も「ちょっとこっち来い」と呼ばれかけましたが、呼んだ係官に向かって、別のちょっと強そうで肩に星が少し多めについている女性の係官が「日本人はOK!いいよ、いいんだよ!」的な感じで叫んで、行っていいということになりました。なかなか疲れる国境でした・・・。
(思えば、タシケントの空港で別室に連れて行かれた時のことを考えると、別室に行けば何がしか難癖つけられて賄賂を要求されていたかも・・・)
13時頃、ようやく国境を通過。ウズベキスタンはさらに時差1時間あるので、時計を戻します。ウズベキスタン時間で12時。荷物を運んできたトラックやタクシーが待っています。とりあえず国境から一番近い大きな町、アンディジャンまで行こうとしたのですが、タシケントまで行けることになり、タシケントまで出発!
街並みも中国とは全く違い、キルギスとも違うような。東ヨーロッパ的な匂いがし始めます。中央アジアというより、かつて旅したボスニア・ヘルツェゴビナあたりに近いような。
アンディジャンを通過。タシケントまでは350km
結構年代物の車がたくさん。
砂漠の世界から変わり、緑のフェルガナ盆地を進みます。この辺りは、「シルクロードの中の極めて豊潤なオアシス」で、ウズベキスタン随一の穀倉地帯です。しかし、これだけの緑を見るとこれまで砂漠や険しい山ばかり見てきた身からするとかなりホッとする光景です。かつてシルクロードを旅した人々も同じだったことでしょう。
一本道をひたすらまっすぐに走り、
途中のガソリンスタンドならぬガススタンドでガスを入れ休憩。ウズベキスタンではかなりの数の車がガソリンではなく天然ガスで走ります。その方が安いらしく、ガソリンよりガスの方が多くの車で混雑しています。
コーカンドの街を越え、15時頃にはフェルガナ盆地から抜ける峠に入りました。交通の要所のようで、鉄道駅や検問所など所々でドライバーから「ここでは写真を撮ってはいけない、カメラを隠せ」と言われました。
大量のタンクローリーが行き来しています。フェルガナ盆地には油田があり、製油所もあります。このオレンジ色のタンクローリーが何十台も隊列を組み、ゆっくりと警護のパトカーに守られながら走っています。過激派などの襲撃を警戒しているのでしょうか。
再び平坦なまっすぐな道を進みます。
夕方17時ぐらいになり、まだ日は高いのですが、夕食休憩。ウズベクスムがないというと、タシケントまでの客を捕まえられて嬉しいのか、ドライバーが上機嫌におごってくれました。
18時過ぎ、まだ日のあるうちにタシケントの街に入ります。広い道、高層建築。
街の中心部に入ります。街路樹と芝生が美しい綺麗な街です。中央アジアで一番の都会というのも頷けます。
シティーツアーの二階建てバスもあったり・・・。ウズベキスタンを代表する(?)ホテルウズベキスタンの巨大なビル。
日が暮れかける頃、目的地のホテルタシケントパレスに到着。今回最後の宿になるので、かなり奮発していいホテルに泊まってみました。
ちなみに、正式には「ロッテシティホテルタシケントパレス」で、韓国の資本が入っているのですが、「ロッテシティホテル」と言っても全く地元の人には通じません。「タシケントパレス」というとわかってくれます。国境からのタクシーも「ロッテシティホテル」というホテルは知らない、と、あちこちに電話して尋ねていましたが分からず、「タシケントパレス」でようやく場所を把握していました。
ウズベキスタン時間で19時、ようやくタシケントに到着です。オシュから11時間の旅でした。
【この日の移動距離】440km
今回のイルケシュタム峠超え▼
ここまでのコース▼
【累計】7340km
day 12(2) イルケシュタム峠からオシュへ
国境のキルギス側。ここでキルギス側から来る車に乗り換え、キルギスのイミグレに向かいます。車は無料。最初の100元に含まれているのでしょう。
10分ほどでイミグレに到着。
特に厳しいチェックもなく通過。北京時間14時過ぎ、キルギス時間はそれより2時間の時差で、12時過ぎということになります。キルギスは日本人はノービザで入国できるので、パスポートを出すのみ。
イミグレから先に行って左側のところにタクシードライバーが待っています。オシュまで200元。これまでの相場からすると高いような気がするのですが、まかりません。
キルギス時間12時30分、計4名の乗合タクシーでオシュへ出発。
美しい高原の景色が続きます。
ところどころに放牧の牛や馬がいて、時折彼らの通過を待ちます。道は中国側ほどではないものの、舗装され整備されており、以前の旅行記にあったような悪路ではなくなっていました。
今回のタクシーに同乗の3人は、2人が中国人の夫婦で、イルケシュタムの先のサリタシュの近くで建設工事をしているとのこと。オシュに住んでいて、そこに奥さんを連れて行くところだそうです。夫婦の住まいが用意されているぐらいですから、それなりの立場の方なのでしょう。もう一人はオシュに貿易の仕事で行くところだそうです。
途中立ち寄ったその建設現場からサリタシュの村を望みます。彼らの話によると、中国の援助によってイルケシュタム峠からオシュまでの道を改修している、そして、その仕事を請け負っている会社に勤めているのだとのこと。この辺りには一帯一路政策の影響なのか、かなり中国資本が投下されている印象です。
途中、現場に寄らせて欲しいということで立ち寄ります。
中央に小さく見えるのがサリタシュの村。立ち寄ったお礼ということなのかおすそ分けでパンをいただきます。
この辺りは標高3300mぐらい。美しい山が続きます。
山、そして高原。高原では所々で放牧が行われています。
途中で馬酒のスタンドで酒を買い、回し飲みしながらオシュへ向かいます。ちょっと飲んだけど微妙な・・・癖のある薄いヨーグルトみたいな。でもおごってもらったので文句は言いません。
九十九折の道を進み、
徐々に山が低くなり・・・
かわいいユルタなども見ながら・・・
キルギス時間16時すぎ、結果的に10時間と、圧倒的な速さでイルケシュタム峠を走破し、ついにオシュの街に到着しました!
ヒッチハイクなどで格安に移動した人もいるようですが、時間を優先したこともあり、結果的にカシュガル=オシュ間の国際バス(520元)と同じぐらいの運賃はかかってしまいましたが、22時間ぐらいかかるという国際バスよりはるかに早く到着することができました。
早速、日が暮れるまでにオシュの街の散策に出かけます。
中心街は工事中。この辺りには両替屋がたくさん集まっています。ネパールっぽいような雰囲気?
オシュには世界遺産があります。スレイマン=トゥー。信仰の対象となっている山です。史跡公園になっています。日のあるうちにここまでこれて感激。
はためくキルギス国旗。
街が一望。
山頂にはモスクがあり、何人もの人が祈りを捧げていました。今なお地元の人々の信仰を集めているようです。
下山してさらにまち歩き。市場もなかなか盛況です。
オープンテラスのある店でラグマンをいただきます。
今晩の宿はこちら。高原のホテルといった風情。清潔でwifiもあり、レストランもあり、なかなか快適なホテルです。
英気を養い、明日は再び国境を越え、ウズベキスタンの首都、タシケントを目指します。
【この日の移動距離】490km 【累計】6900km
day 12(1) さよなら中国。イルケシュタム峠へ
久しぶりのカシュガル。事情あって(大したことない事情と大したことある事情があり)しばらくお休みしていましたが、いよいよ難所、イルケシュタム峠を越えてキルギスのオシュに向かいます。
イルケシュタム峠越えには2つの方法があって、乗合タクシーなどを乗り継いでいく方法と、国際バスがありますが、曜日の都合とできる限り早く、日のあるうちにオシュまでたどり着きたいと思ったので、よりスピーディーな乗り継ぎコースで進みたいと思います。
起点は、早朝のバスターミナル。ここからまず最初のイミグレがあるウルグチャットまで行く乗合タクシーがあるはずです。
窓口で切符を買うようにということなので、窓口に行き「ウチャ(烏恰)」と行き先を告げると、端末をパタパタと叩いて、「没有(メイヨウ)」と一言。なに!?早速大ピンチです。話を聞くと、今日ウルグチャットに行く車は一台もないとのこと。カシュガルくんだりまで来て、峠越えできませんでしたというわけにはいかない!
そこで、発想を変えて、バスターミナル前にたむろするタクシーと交渉。要は4人分出せば行ってくれるはず。こうなったら致し方ありません。何とか交渉成立。贅沢にも1台タクシーチャーターでウルグチャットに向かいます。北京時間9時、新疆時間7時に出発。
さらばカシュガル。
すぐ山がちに。
道はかなり整備されており、快調に飛ばしていきます。
間も無くウルグチャットの看板が。
およそ1時間強。午前10時20分頃、ウルグチャットのイミグレに到着です。ここで中国の出国手続きをします。とはいえ、ここは本当の国境よりも140kmも離れています。
出国審査を受け、いよいよ国境越えですが、ここは専門の乗合タクシー(今回は下の写真の黒い車)に乗る以外に方法がありません。値段は一人100元で固定。イミグレの職員が案内してくれます。値下げは一切効かない代わりに、これ以上も請求されません。日本円にして2000円弱、まあ仕方ないかと。
なんやかやと1時間ぐらいかかり、11時30分頃、国境に向け出発。この時期はあまり国境を越える人間はいないようで、人が集まるのかやきもきしました。
この先の道もかなり整備されています。
11時40分、途中の康蘇の料金所を通過。
イルケシュタムまでまだあと100km
ひたすら進みます。広い空、険しい山。
途中の町。
ついに国境近くなるとロシア語が。英語も。ただ、単語の間にスペースを空けることをしないので最初何が何やらわかりません。
北京時間13時ちょい前、ようやく本当の国境に到着しました。ここではパスポートチェックはあるものの、出国手続きは前のイミグレで済んでいるので、特に何もありません。
ついでに、周りにも何もありません。かなり厳しい環境を耐えていると思しき建物が数軒。パスポートを集められたまま、しばらく待ちます。この国境には昼休みがあると聞いていたので、昼休みに入られてしまったかと危惧。ドライバーに聞いてみても、「まあ、待て。」と。
幸いなことに、30分ぐらいして進んでよし、ということになり、迷彩服姿に小銃装備の国境警備隊員を乗せて、再び先に進みます。反対側にはトラックの長蛇の列。なかなか物流の要になっているようです。でもトラックは全く進んでいませんが。
20分ぐらい走って、13時50分頃、停車。
ここがどうやらキルギスとの国境のようです。この白っぽいコンクリートの向こう側がキルギスとのこと。中国側の車はここまで。中国の国境警備隊と、キルギス側の迎えの車を待ちます。キルギスに入ってみたり戻ったりを繰り返してる同乗の人。
しばらくして、キルギス側の車が来ました。あの斜面の中腹にある碑がどうやら国境を示すもののようです。
さて、ここからキルギスに入ります。
day 11 今日も飛ばない
翌朝。カシュガルの朝です。霞む空、今日も視界が悪いのが気にかかりつつ、空港に向かいます。
相変わらず霧のような。この地域では時折砂嵐が発生し、視界が悪くなる時があります。思えば、列車も砂嵐でだいぶ遅れていたのでした。
空港には来たものの、一向に飛行機がやってくる気配はありません。着陸できさえすれば離陸はそんなに問題ないはずなのですが…。視界の悪い中着陸させるには、計器飛行ができる機器を備えなくてはなりません。ターミナルビルは立派ですが、どうやらそうした設備はこの空港にはないようで・・・
結局、この日も夕方になりやはり飛行機は来ないということになり、ホテルへ。
せっかくなので、街に出て散策です。
夜もなんとも言えない風情があります。モロッコや以前旅したシリアやヨルダンのような雰囲気。日本からウラジオストク、中国を横断してここまで、地域ごとにいろいろな街の表情がありますが、もうここは中東の文化圏なのだなと改めて実感しました。
屋台でご飯を食べ、
ホテルに戻ると、何やら慌ただしい動きが。聞いてみると、どうやら飛行機が飛ぶかもしれないとのこと。慌ててバスに乗り空港に向かいます。街中でのんびりしすぎていなくてよかった!
深夜0時ごろ、ついに飛行機が到着!!2日にわたって足止めされていた乗客からは、飛行機が着陸した時拍手がわいたほど。
夜通しフライトし、真夜中のウルムチを経由して、翌朝上海虹橋空港にたどり着きました。
次回の旅はまたカシュガルから続きを旅します。
day 10(2) カシュガルの街
カシュガル駅から街を目指します。今回の休みも短いので、今夜のフライトでウルムチに戻ります。なのに列車の遅れもあり…急がなければ。
駅から街中まではバスがあるということでしたが、どうにもバス停が見当たらなかったので、乗合タクシーに。4人揃うまでそんなに時間はかかりませんでした。
少し走ると、旧市街が見えてきます。大きな観覧車のあるあたりで降りて歩いて街中に向かいます。
共産党中央へウイグルへの援助を感謝するという看板。こういう看板が設置してあるあたり、ウイグルという土地の微妙な状況を感じざるを得ません。街中のこんなところにこの看板があるということは、感謝を表すためというより、党は援助をしているのだ、感謝しなければというメッセージを市民に向けて発信しているということでしょうから。
しばらく歩くと、旧市街に入ります。
もう同じ中国の街とは思えません。ハミよりもさらに西域色が。
羊を連れた少年。
この辺りは職人街のようです。
およそ中国らしからぬ「カシュガル」という街に抱いていたイメージ通りの街並みにテンションが上がります。
エイティガール寺院。
街の広場も、歩く人々は完全にウイグル人ばかり。同じウイグル自治区でも、ハミはかなり漢民族の割合が高かったのですが、ここは漢民族の方が少数派のようです。
ところで、ウイグル族の男性は皆帽子をかぶっています。
街中には帽子屋街みたいな一角があり、所狭しと帽子が並んでいます。
お土産に一つ帽子を買った店の店主。カメラを向けるとなかなか渋くポーズを決めてくれました。
こちらの一角は再開発をしているよう。カシュガルの旧市街では、古い家を新しい建物に建て替えているようです。
雰囲気はあるものの、先ほどの街とは打って変わって整然とした再開発完了したエリア。便利で綺麗そうですが、ちょっとつまらないような・・・
旧市街を抜けると市場がありました。
市場の中は、かつて旅した中東そのもの。懐かしい感じ。
さて、一通り街中を散策したので、ウルムチへの飛行機に間に合うよう、カシュガル空港へ向かいます…が、
なんと!視界が悪く着陸できないので、この日全てのフライトが見合わせ!ショック!!明日中には東京に戻らないと仕事の打ち合わせがあるのに・・・。果たして自分の乗る予定のフライトは飛ぶのでしょうか?これはやばい。
結局、夜になって今日は全て欠航するということになり、ホテルを用意するので全員バスに乗って移動するということに。東京から遠く離れたカシュガルという地で途方に暮れている自分はなんだか面白くもありました。
思いがけないカシュガル宿泊です。
【昨日から今日の移動距離】トルファンからカシュガル、1450km
【累計】6410km、ちなみに経度にして64度ほど。地球1/6周です。